白夜に紡ぐ の商品レビュー
色を通して、文学、文化、日本人の心のありかた さまざまに広がる世界。 特に 「匂ふ」 「うつろふ」 「なまめかし」 「あはれ」 のキーワードから、古代からの日本人の ものの見方、感じ方など考察し、 源氏物語をより深く読むという 視点をいただいた。
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うーん…。まず、値段がありえないです。 あと文も、ロシア文学への愛は分かりますが、それにページを割きすぎです。エッセイを書くのはいいのだけど、あらすじを説明するのは不得意のようで、読みにくいです。
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「この年齢になって振りかえれば若い日の暴走は破局の道をすれすれに走りながら救われるべく衣を脱ぎ捨て、脱ぎ捨てて素裸になりようやくたどりついた仕事への道だったかと思う。」-『織物への道』 言葉を紡ぐ。そう表現するとき、自分の中では、比喩半分、実感半分という思いがそこにはあるのだけ...
「この年齢になって振りかえれば若い日の暴走は破局の道をすれすれに走りながら救われるべく衣を脱ぎ捨て、脱ぎ捨てて素裸になりようやくたどりついた仕事への道だったかと思う。」-『織物への道』 言葉を紡ぐ。そう表現するとき、自分の中では、比喩半分、実感半分という思いがそこにはあるのだけれど、志村ふくみの文章を読んでみて思うのは、これらの言葉に限ってはまさに紡がれているという感覚を呼び起こすものであるということである。そうして文章というものが、如何にその人の日常において駆使される身体の動きに寄り添うものなのかということも、まざまざと見せつけられる思いがする。 言葉を選びとる。そういう似たような表現があり、まさにそう表現するのが適切であるような、例えば詩人のものする文章などに出会うこともあるのだけれど、紡ぐ、という時、そこにはもっと地道な動きの気配がする。目には見えていない側に蠢くものがあるように、響く。もちろん、紡ぐとはもっぱら繭から糸を引き出してよりをかける行為を意味することだけれど、その行為の前にある時間、蚕を育て桑を育て繭を囲うまでの時間と、その行為の後にある時間、糸をより染色の草木を備え浸し晒し、そうして織るという時間を同時に想い起させるずしりとした密度の高い言葉でもあると思う。 そういった、言葉の持ち重りする感覚は、著者が自らの人生を振り返る時に、尚いっそう強くなる。そこにある陰の一つ一つが全て異なる色の糸となり、著者の送る杼に収まり、少しずつ綾なして文章として織り上がってゆく。そして、その緯打ちをする筬の力強い動きは著者の年齢を思わず忘れてしまうほどにしっかりとした音を立てているように思うのだ。
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