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高群逸枝の夢 の商品レビュー

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2011/09/01

115年前の1894年1月18日熊本県に生まれた髙群逸枝は、日本女性史を独力で切り開いた人。 彼女のあとには、血族のように強い意志を持った後継者たちが続くのですが、奇しくも同じ1927年生まれの『苦海浄土 わが水俣病』の石牟礼道子、『女の論理序説 族母的解放の始原』の河野信子、...

115年前の1894年1月18日熊本県に生まれた髙群逸枝は、日本女性史を独力で切り開いた人。 彼女のあとには、血族のように強い意志を持った後継者たちが続くのですが、奇しくも同じ1927年生まれの『苦海浄土 わが水俣病』の石牟礼道子、『女の論理序説 族母的解放の始原』の河野信子、『ははのくにとの幻想婚』の森崎和江は、さらにもっとより深くより真相を暴き出し、研ぎ澄まされた表現力は文学の新しいかたちを創造するようにみごとな結実をみせています。 ところで、二人のシモーヌのうち、私が最初に夢中になったのは、ヴェイユの方だったのですが、いきなり性を超越して、すぐさま階級や神の問題へ向かったことが、はたして良かったのかどうか。 そして、あるいはまた、その後、ボーボワールに直面して、ウーマンリブやジェンダーという問題意識に、それほどのインパクトを感じなかったということは、幸か不幸か。 ええっと、でも、明らかに、少しは目覚めた私は、講談社文庫の分厚い2冊の高群逸枝著『女性の歴史』を、高1の夏休みに読破したはずですが・・・その後も『娘巡礼記』や『母系制の研究』や『火の国の女の日記』などを、確かに読んだはずなのに・・・、しかもギッシリ抜き書きした読書ノートが残っているのですが、何と言うことでしょう、実のところ、何が書いてあったか、まったく記憶がありません。 覚えているのは、なんて堅苦しい面白くもない文章ばかりだ、ということでした。読むのが辛くて苦しくて退屈だったことばかりを記憶しています。 その硬さは、日本で初めて取り組む、理論的体系的な女性史ということで、きっと気合いが入り過ぎたからだと思います。 でも、普段普通に通用している歴史や歴史観が、どれほど普遍的ではない男性優位・独断の目や立場で貫かれているか、くらいは理解できました。 ええっと、さて、この本は、彼女が女性史という、前人未到の学究・研究生活に入る以前に、行動する戦闘的な主義者だったことを描いています。 そう、1928年頃に高群逸枝は国家に鋭く対峙するアナキストでした。 ・・・これは彼女にとって傷となる経歴でしょうか? いいえ、とんでもない、単なる学究の徒でなく、時代を明確に把握し、そして変革する意思を持って生きた女性として特筆に値することだ、と思います。 それから、たしか、群ようこが『あなたみたいな明治の女』(1999年)の中で、疾風怒濤の明治に生きた、波乱万丈の8人の女性の中のひとりとして書いていましたっけ。 あっ、今、その中でのエピソードが、本著作に先行して、もう一つの高群逸枝を紹介していた、と認識しました。 堅苦しいばかりだと思っていた彼女が、夫婦でヒヨコを飼っていました。その飼育記録を『愛鶏日記』として綴っていたこと。もちろん単にペットとしてではなく、重要なタンパク質供給源として。 プーコと名づけ鶏小屋まで作り、初めての卵を感動して見つめて、それを卵焼きにして食べました。家の中まで入ってきたニワトリたちと戯れる高群逸枝・・・ その中のひとつの言葉が、彼女の人となりを見事に語っています。   愛は理屈でなく存在である ・・・・・いかがです。またひとつ、彼女のイメージが変わった、と思われませんか! そして、私にとっては、彼女を含め(樋口一葉は別格ですが)与謝野晶子や平塚らいてう、福田英子や市川房枝、帯刀貞代や伊藤野枝、山川菊栄や金子文子、長谷川テルや丹野セツ、丸岡秀子や津田梅子など堂々と活き活きと生きた明治の女性たちは、いつも堕落しそうになる私に、活を入れて下さる存在なのです。

Posted byブクログ