命いとおし の商品レビュー
14歳でハンセン病に罹患し、2013年の逝去まで国立ハンセン病療養所大島青松園で過ごし詩を書き続けた、詩人・塔和子の唯一の評伝。悲観的な感情や憎しみを乗り越え、人間の普遍性と命の賛歌を歌い上げた詩は千篇にものぼり、1999年には『記憶の川で』が詩の世界では最高峰ともいわれる高見順...
14歳でハンセン病に罹患し、2013年の逝去まで国立ハンセン病療養所大島青松園で過ごし詩を書き続けた、詩人・塔和子の唯一の評伝。悲観的な感情や憎しみを乗り越え、人間の普遍性と命の賛歌を歌い上げた詩は千篇にものぼり、1999年には『記憶の川で』が詩の世界では最高峰ともいわれる高見順賞を受賞。以降、テレビ・ラジオ・新聞などのメディア出演が相次ぎ、塔和子のドキュメンタリー映画『風の舞―闇を拓く光の詩』は数々の賞を得た。本書では本人のインタビューや詩を交えつつ、魂の高潔を保ち続けた詩作の源泉を辿る。
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塔和子の名は詩集『いのちの詩』で知っていた。数年前には、塔和子を描いたドキュメンタリー映画「風の舞」も見たことがある。 この本は塔和子の詩と半生を紹介したもの。子どもの頃にハンセン病感染がわかり、塔和子は瀬戸内にある島の療養所・大島青松園へ入った。家族や故郷との縁を切られてし...
塔和子の名は詩集『いのちの詩』で知っていた。数年前には、塔和子を描いたドキュメンタリー映画「風の舞」も見たことがある。 この本は塔和子の詩と半生を紹介したもの。子どもの頃にハンセン病感染がわかり、塔和子は瀬戸内にある島の療養所・大島青松園へ入った。家族や故郷との縁を切られてしまう患者が多かったときくが、塔和子のもとには父が何度となく見舞いに来てくれている。ただ、父と母は、和子のきょうだいには「和子は養子に出したのだ」という話をつくって聞かせていたから、塔和子が弟たちと会えたのは、父が亡くなる頃だったという。 療養所では、赤松正美と結婚している。ハンセン病の隔離療養所では、断種手術を結婚の条件とした。 ▼伝染病であるからこそ、隔離をしたのに、断種手術をするということは、遺伝病でもあるという錯覚を庶民に植え付けた。(p.138) このプロパガンダは相当な強さがあったはずで、療養所に入った人たちはみな既に「元」患者でありながら、故郷にも帰れず、亡くなってからのお骨も戻れないことが多い。家族や親戚との縁が切られたのも、縁者に患者がいるとわかると、きょうだいが離縁されたり、その子どもまでいじめられることがあったからだといわれる。 そういう話はこれまでも本を読んだり、話を聞いたりで知っていたので、療養所がある島やその地域で、患者たちはどううけとめられていたのかと思っていた。療養所のある島には長いあいだ橋が架けられなかったし、数年前にも熊本のホテルが元患者の宿泊を拒否したという事件があった。 この塔和子の半生を書いた本によると、この大島青松園のあった島の住民たちは、患者(元患者)とのつきあいに分け隔てがなかった、という。明治の終わり頃に療養所ができたときから数えれば、長い時間が経っているから、そういう風になれたということなのか、近くにいることでサベツ意識はかえって強まることもあるというケースもあるように思うが、そこらへんはどうなんかなと思った。 私は詩集を一、二冊読んだのと、映画「風の舞」を見たくらいしか塔和子は知らなかったけど、こんな人がこんな詩を書いてきたんやなあと、生きてきた人のなまなましさを感じたりした。 惜しまれるのは、誤字脱字がひどいこと。著者も編集者も、ここまで見落とすものかと驚く。
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