不干斎ハビアン の商品レビュー
釈先生のご著書とはいえ、「不干斎ハビアン?誰?」みたいな感じで、読むこともないような気がしていたが、「高橋源一郎の飛ぶ教室」で取り上げられたので、読むことにする。 やはり私にはなかなか難しかったが、とても興味深い人であった。とても頭のいい人なのに(だからか)禅僧からイエズス会の修...
釈先生のご著書とはいえ、「不干斎ハビアン?誰?」みたいな感じで、読むこともないような気がしていたが、「高橋源一郎の飛ぶ教室」で取り上げられたので、読むことにする。 やはり私にはなかなか難しかったが、とても興味深い人であった。とても頭のいい人なのに(だからか)禅僧からイエズス会の修道士へ、そして駆け落ち、棄教って、それだけでも面白い。そして仏教、神道、儒教、キリスト教をぶった斬る!なんか宗教者なのにものすごく人間くさい。 学術論文ではないので、釈先生ご自身のハビアンに対する個人的な思い(ハビアンを追体験して、ハビアンの見た最後の地平を見てみたい)がしっかり感じられて面白かった。 わからないところにあまり拘らず、ガシガシと読み進めた。どこまで理解できたかと言うと全く心もとない。 その上こんなことを書くのはアホ丸出しだが、カバーの釈先生のお写真が今のイメージと全く違っていて、読む前からびっくりした。 図書館で借りた初版だからか。写真は今もこのままだろうか。鋭さ、怖さが隠されていない25年前の釈先生。
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妙貞問答や破提宇子を読み解きつつ、ハビアンの人生を辿りつつ、ハビアンが見たものは何かを探ろうとする。 山本七平の言うような単純な日本教の元祖であるというよりも、現代のスピリチュアリズムにつながるような近代人だったという結論。両書を合わせてハビアンを世界初の本格的比較宗教論者とする...
妙貞問答や破提宇子を読み解きつつ、ハビアンの人生を辿りつつ、ハビアンが見たものは何かを探ろうとする。 山本七平の言うような単純な日本教の元祖であるというよりも、現代のスピリチュアリズムにつながるような近代人だったという結論。両書を合わせてハビアンを世界初の本格的比較宗教論者とする。
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発掘されるハビアン 『妙貞問答』が語るもの ハビアンの比較宗教論 林羅山との対決、そして棄教 『破提宇子』の力 ハビアンと現代スピリチュアル・ムーブメント ハビアンの見た地平 著者:釈徹宗(1961-、大阪府)
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えー、不干斎、ハビアン。 変な男で、桶狭間の戦いのちょっと後に生まれたらしい。で、臨済宗の坊主になって、キリシタンになる。イエズス会の思想的主柱となって「妙貞問答」なる布教用のテキストをこしらえたと思ったら女連れて棄教、晩年に「破提宇子」(提宇子・でうすを破す、の意)を著し...
えー、不干斎、ハビアン。 変な男で、桶狭間の戦いのちょっと後に生まれたらしい。で、臨済宗の坊主になって、キリシタンになる。イエズス会の思想的主柱となって「妙貞問答」なる布教用のテキストをこしらえたと思ったら女連れて棄教、晩年に「破提宇子」(提宇子・でうすを破す、の意)を著してこの世を去る。そういうハビアンの仕事を浄土宗のぼんさんがまとめた本。と書くとまぁだいたいあってる。 ハビアンの仕事のすごいところは、当時において神道に仏教、儒教に道教をみんな並べて宗教比較して、そのあとで「キリスト教がいかに違うか」ということを説明したこと、で、死ぬ前にそのキリスト教さえも、結局は駄目ぢゃんということで棄てたあたり。つまりはそのなんだ、「根っから信仰する」というスタンスではけっきょく考えられなかったわけで、方々の宗教体系から自分に都合のいい部分だけをつまみ食いする「個人的宗教」のスタンスは現代人の個人的なスピリチュアル体験を先取りしたものであったろう、ということで。 これを「現代人の特徴」というのかネ。いやむしろ、いろいろの宗教を俯瞰できたからこそ、実感のレベルで身にあう部分だけを抽出しえたんじゃないかと思うのです。日本人における宗教の「儀式性」とは逆の方向で、いろいろなパーツから精神的な安定を構築できればよかったんぢゃねえのかなぁとか、そんなことを思うのでした。 宗教関連についてはまったくの無知蒙昧でありんすので滅多なことは書けないけれども、結局宗教の目的って、まぁ日常に苦がなくて生きていけるように自分が納得すればいいんじゃねぇか、というところに達せたのがハビアンだったのではないかしらん、と思うのでした。 非常に痛快な人物のにおいはするのだけれども、まだそこまで、ハビアンの人となりのレベルまでは資料が無いらしいのでわかりません。 もっと人物像が見えてくると、文芸的興味として面白いだろうなぁ、という一冊。書き手のぼんさんもがんばって軽くしようとしていて、ナイスです。
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死は無に帰すると説く禅仏教、生き抜き死にきるとする浄土仏教、現世のみの教え(倫理)を論ずる儒教、通常の生活を語るのみの神道、そして絶対の創造主に救済を求める一神教キリスト教。400年も前に仏教にもキリスト教にも通暁し、知性で類型化した日本人がいたとは驚き。神も仏も棄てた宗教者。そ...
死は無に帰すると説く禅仏教、生き抜き死にきるとする浄土仏教、現世のみの教え(倫理)を論ずる儒教、通常の生活を語るのみの神道、そして絶対の創造主に救済を求める一神教キリスト教。400年も前に仏教にもキリスト教にも通暁し、知性で類型化した日本人がいたとは驚き。神も仏も棄てた宗教者。その存在すら知らなかった。多分、大きすぎる知の巨人で、時代のタブーだったのだろうなと思う。それにしても、当時の知識人とされた林羅山らの卑小なことよ。そして、現代でもその存在を意図的に小さくみる知識人はいる。その時代の知の権威は、時代をひっくり返すような知性に本能的に警戒し攻撃をしかけるものらしい。
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元々、禅僧でキリシタンになり、そのあと棄教したという男の話。こんな人物がいたんだという点でも面白かった。 勉強になったのは、現在のクリスチャンと当時のキリシタンは同一のものではないという、まあ当然の事を知りました。 当時のキリシタンは造物主をかなり重視し、三位一体はあまり重視していなかったというのは、覚えておくべきだなあと感じました。 意外と当時の宗教観ってこんなものかもしれないなあと思いつつ、著者が言うようにハビアンは現代的な宗教観の持ち主かもしれないとも感じました。 面白いです。
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自分はあんまり意識しないのですが年寄りに育てられてお経にどっぷりひたって育ったので根っこのところで やっぱり仏教徒だと思うのですそれは 考えているんじゃなく感覚なんだけど突き詰めて考えるのって大変だなぁと思う宗教って理屈なのかな
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神も仏も棄てた宗教者。私はこの本で初めて不干斎ハビアンを知った。信長や家康と同時代、禅僧→キリシタンに入信→棄教→キリシタン弾圧側となるという特異な経歴が興味を引く。彼は世界初の神道、仏教、儒教、道教、キリスト教の比較宗教書でキリシタン擁護書を著し、棄教後、キリシタン批判書を著し...
神も仏も棄てた宗教者。私はこの本で初めて不干斎ハビアンを知った。信長や家康と同時代、禅僧→キリシタンに入信→棄教→キリシタン弾圧側となるという特異な経歴が興味を引く。彼は世界初の神道、仏教、儒教、道教、キリスト教の比較宗教書でキリシタン擁護書を著し、棄教後、キリシタン批判書を著してその著書は徳川幕府のキリスト教弾圧の指針の一つとなった。女と駆け落ちして棄教というと背徳、背信のような感じがしてしまうが、この本を読むとハビアンという人はとても「日本的な精神」を持った当時の知識人だったような印象を受ける。信仰よりも「知」の人。あらゆる宗教を研究し、比較しその中から良いもの、悪いものを取捨選択しながら生きた宗教者。ハビアンの考えは「クリスマスを祝い、神社に初詣に行き、葬式は寺」という異なる宗教を文化として日常に取り入れていく現代日本人の価値観、宗教観に何か通じるものがあるような気もする。矛盾を論破し、あらゆる宗教を比較解体することにより彼にとっての宗教を生涯かけて追い求めて生きた、背教者というよりは求道者だったのではないだろうか。この本はさまざまな哲学、宗教的な要素だらけだが、冷静で鋭い視点からハビアンの著書や彼についての研究を参照し、比較しながら読者にあらゆる角度からハビアンという人間を浮き彫りにしてくれるので、とても読みやすかった。現代日本人の宗教観を考察する上でも非常に参考になる興味深い本である。
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