1,800円以上の注文で送料無料

私の目を見て レズビアンが語るエイジズム の商品レビュー

5

2件のお客様レビュー

  1. 5つ

    2

  2. 4つ

    0

  3. 3つ

    0

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2015/12/30

レズビアンである女性が語った「老いるということ」。原書は1982年。 バーバラは1910年代生まれ、シンシアはバーバラより20歳くらい若い。 年をとることに直面しているバーバラと、まだ本格的には自分の老いがピンとこないシンシアの立っている場所はちょっと違う。 バーバラが育った時...

レズビアンである女性が語った「老いるということ」。原書は1982年。 バーバラは1910年代生まれ、シンシアはバーバラより20歳くらい若い。 年をとることに直面しているバーバラと、まだ本格的には自分の老いがピンとこないシンシアの立っている場所はちょっと違う。 バーバラが育った時代にレズビアンであること(それどころか女性であることすら)は今とまったく違う意味を持つ。 ロールモデルにできる人や情報はフィクションの中にさえなく、バレれば魔女のように扱われる。 そういう時代に自分を嫌いながら育っても、恋をして勉強して働いてこんなにちゃんと(当人はどう思っているかわからないけれど)生きていけるんだってことにまず感動した。 逆方向だけど、ゴーリーが「(恋愛やらを)しなかったのは、したくなかったから」http://booklog.jp/quote/60111と言っていたのを思い出した。 逆境の時代だろうが年をとろうが、恋愛したい人はしたければできる。 それから衝撃を受けたのは第二波フェミニズムの「夜を取り戻そう」というスローガン。 女性が歩くなんてとんでもない危険な路上を、たくさんの女性たちが集まって行進した。 著者はそこでエイジズムを意識するのだけれど、私はこの運動自体を知らなかったので運動のほうにまず目が行った。 自分が閉じこもるんじゃなくて危険な目に遭わされることに抗う、そんな風に扱われる筋合いはないと主張するという発想に目からうろこが落ちた。 「自由の扉」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4275008383でモヤモヤしていた部分がスッキリ晴れた。 日本の社会運動を見ていると、声を上げるのは叩かれること・怖いこと・覚悟のいることというイメージを持ってしまう。 だけど、本来は動くことそれ自体が力を呼び覚ますものなんだってことを思い出した。 声を上げることは、不当に扱われている人たちが正当な身分を取り戻すための闘いであり、自己を肯定する作業なんだから。 レズビアンとして生まれ、ずっと人と違う自分を意識せざるを得なかったバーバラは、前書きでこの本は老いについて書いたけれど、きっと若いころに書いたとしてもメタファーが違うだけで同じ内容を考えたと書く。 読む側も、「外国の高齢者の話」としてだけじゃなくて、今の自分になぞらえて読むことができる。 ヘイトの形はどこも変わらない。 ・「若く見える」にこだわる(こだわらせる社会)は、いきいきした高齢者を賛美しながら老いを否定する。 「若く見える」=「年寄りなんかじゃない」だから、若く見えても見えなくても確実に老いる自分を否定することになる。 そういえば「アンチエイジング」って、言葉からしてエイジズムだ。 ・高齢女性はおばあちゃん(お祖母ちゃん)の役割を期待される。 孫の世話より自分を優先させるのは悪い老人。 で、自分のおかあさんに手伝ってもらわなければ子育てもできない国のことを考えた。 好き好んで手伝いたがりなさいと国家に言われる国を。 「親の面倒は子がみろ」も同様に、介護する側だけでなくされるがわのエイジズムをも助長する。 ・シンシアの考察は思想が先行している感じがする。 訳者の「自分たちにわかるだろうか」という謙虚なんだか他人事なんだか微妙なラインもやっぱり当事者感覚じゃない。 どちらも誠実だけど配慮がズレてしまう「デモの誘導係の若い女性」に似ている。 関連 『私は三年間老人だった』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4255003149

Posted byブクログ

2017/08/04

バーバラとシンシアは、高齢・女性・レズビアンの三重の差別の対象だ。 この本はは現実に対する切実な訴えだ。けれどちっとも攻撃的ではない。それは彼女たちが他人のせいにしたりしていないからだ。 バーバラとシンシアは制約だらけの中でも、自分たちの人生を選び続けてきた。彼女たちは、他の人に...

バーバラとシンシアは、高齢・女性・レズビアンの三重の差別の対象だ。 この本はは現実に対する切実な訴えだ。けれどちっとも攻撃的ではない。それは彼女たちが他人のせいにしたりしていないからだ。 バーバラとシンシアは制約だらけの中でも、自分たちの人生を選び続けてきた。彼女たちは、他の人にも「自分のことは自分で責任を持って」と言っているのだ。 差別や争いは、自分で持つべき荷物を他人に押しつけることから始まる。そんなことはしないで、と、彼女たちは静かに訴えている。 30年以上前にアメリカで書かれたことなのに、現代の日本にも通じる。

Posted byブクログ