春の悲歌 の商品レビュー
1960年代の末、東京新宿(喫茶「風月堂」他界隈)にたむろすし、無為の日々を過ごす若者たち。頭でっかちの芸術論などを得意がって交わす態。学生運動も盛んで、ややキナ臭さもただよう社会・時代の雰囲気をよく映しているように思われた。ただ実際にはその時代全般を自分はよく知らず・・本(主に...
1960年代の末、東京新宿(喫茶「風月堂」他界隈)にたむろすし、無為の日々を過ごす若者たち。頭でっかちの芸術論などを得意がって交わす態。学生運動も盛んで、ややキナ臭さもただよう社会・時代の雰囲気をよく映しているように思われた。ただ実際にはその時代全般を自分はよく知らず・・本(主に小説)・映画(たとえばATGなどの低予算映画)などで垣間見ただけの印象からであるけれど。主人公サエ(冴子)のイメージは言動や容姿などいかにもな名前通りの印象の美女(美少女)で、惹かれる部分はあるものの紋切り型の人物像。 【来歴】(wiki) 横山五郎が、家業の潤沢な資金とクラシックレコードのコレクションを売りとして、新宿東口の角筈(つのはず)1丁目(後の新宿3丁目の新宿三越アルコット→ビックロ付近)に開業。 戦時中禁止されていたクラシックレコードをかける喫茶店としてスタートした。 滝口修造、白石かずこ、天本英世、三枝成章、三國連太郎、ビートたけし、野坂昭如、五木寛之、岡本太郎、栗田勇、岸田今日子、長沢節、朝倉摂、谷川俊太郎、唐十郎、安藤忠雄、寺山修司、若松孝二、蛭子能収ら、若き才能が数多く集った。レコードのコレクションは充実しており、NHKも借用にくるほどであった。 1964年の東京オリンピックでは、外国人観光客向けガイドブックでも「日本のグリニッジ・ヴィレッジ」と紹介され、外国からの若者やヒッピーの間でも「Fugetsudo」の名は東京の代名詞にまでなり、若者文化の聖地、若き才能のるつぼと呼ばれるまでになった。 1960年代後半の全共闘運動時代には、新左翼の活動家や学生が出入りするようになり、公安警察が監視していた。作家・山崎朋子は、店のウエイトレスをしていたこともある。ベ平連活動家の拠点ともなり、ベトナム戦争従軍米兵の脱走兵をかくまっていたこともたびたびあった。さらにフーテンも出入りするようになり、かつての芸術喫茶は大きく変貌を余儀なくされ、常連の客足も遠のき、1973年8月31日、戦後の新宿文化を象徴した名曲喫茶「風月堂」は閉店し、27年の歴史に幕を閉じた。現在は三越の壁面にプレートが残るのみである。
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