暗殺の森 の商品レビュー
直木賞作家、古川薫さんの中山忠光暗殺について書かれた作品です。 来月、このあたりに行くかもしれないので再読してみましたが、つくづく、歴史って面白い!ということを再確認しました。 中山忠光は明治天皇の叔父にあたり、攘夷過激派の公卿として知られ、尊攘派の志士と交わり活動していました...
直木賞作家、古川薫さんの中山忠光暗殺について書かれた作品です。 来月、このあたりに行くかもしれないので再読してみましたが、つくづく、歴史って面白い!ということを再確認しました。 中山忠光は明治天皇の叔父にあたり、攘夷過激派の公卿として知られ、尊攘派の志士と交わり活動していました。 後に天誅組の首領となり文久三年(1863)大和で挙兵しますが、戦いに敗れ長州藩へ亡命。 しかし、八・一八の政変で長州を頭とする尊攘過激派が京より一掃されると長州藩内でも俗論党が台頭してくるにおよび、もてあました長府藩により暗殺されてしまいました。 ちなみに、潜伏中に側女として仕えた恩地登美子との間にできた女児が後に嵯峨宮に嫁いだ仲子。その孫娘にあたる、嵯峨浩は愛新覚羅溥傑に嫁いでいます。 その後、高杉晋作の挙兵の成功などにより藩をあげて倒幕へ突き進んでいったため、この事件は長府藩の汚点となり、長く、公には病死とされていました。 そして昭和10年。下関市にある中山神社の祭典行事に嵯峨野仲子が参拝にきたことを発端として、この事件に疑問をもったのが地元の新聞社主・野見庄太郎。 悪漢新聞を発行していた彼は地元の名士たちの間では蛇蝎のごとく嫌われていました。調査を始めた目的も、毛利家を脅すためでしたが、調査していくうちに義憤を抱くようになります。 事件からは70年たち、藩などはあとかたもありませんがそれでも現れる障害。 史料を駆使し、真実に迫っていく部分も読み応え充分ですが、無頼漢・野見庄の心の変遷もまた魅力の一つです。 この史料たちはわたしの知識ではどれが現存するものやら判別つきませんが、さすが古川さんだけあって非常に説得力がありました。 ラストの余韻も大好きです。
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