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ボヘミアの農夫 死との対決の書 の商品レビュー

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2023/11/05

「神よ、死に与え給え、悪しきアーメンを!」(116) ――― 愛する妻を亡くしたボヘミアの農夫が、殺人罪で「死」を訴える。原告である農夫の訴えと被告である「死」の応答が交互に繰り返される形式の対話篇。 数百年の昔、海を越えた遠い地で、言語や文化は違えども、今は亡き誰かも「死」...

「神よ、死に与え給え、悪しきアーメンを!」(116) ――― 愛する妻を亡くしたボヘミアの農夫が、殺人罪で「死」を訴える。原告である農夫の訴えと被告である「死」の応答が交互に繰り返される形式の対話篇。 数百年の昔、海を越えた遠い地で、言語や文化は違えども、今は亡き誰かも「死」について悩み苦しみ抜いていた。月並みな感想だけれども、その断片を拾い集めることが、どんな景気のいい言葉よりも慰めとなることがある。ぼんやりと30年も生きてしまっていれば、肉親の死にも、友人・知人の死にも出遭う。そのとき不意に、生きるとは常に死と隣り合わせの現実であることが突きつけられる。如何ともし難いままに日は落ち、習慣のまま布団を被り、うめき声ひとつ添えて眠りにつく。このような場合、必ずしも愛は適切な解とならない。愛は別離の悲しみと裏腹であり、強固な愛着ほど対象を失う悲しみを強めてしまうからだ。深い愛に裏打ちされた悲しみのあまり、自分や他人の人生を損なうようなことは望ましくない。人を愛すのは良い、ただし、生に固着した形ではなく、死すべき定めのものとして愛することが肝要なのかもしれない。『あっかんべぇ一休』あたりの受け売りであるが、花は咲くのみではなく、散り、枯れるからこそ花なのである。咲き誇る時期のみを愛でるのでは、花を花として愛することにはならない。 この裁判の裁判長である「神」の言を借りれば、死を訴えたところで、死に「勝つ」ことはできないのであるが、それでも死に問いかけることには意味がある。答えはどこにもないのかもしれないが、死ぬ前に、あるいは生きてしまう前に自分なりの問いを立てたいのであれば、この本を開いてみるのも悪くはないだろう。

Posted byブクログ