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街場の教育論 の商品レビュー

4.2

119件のお客様レビュー

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2020/07/15

みなさんにしても、数値目標や外形的目標を決めて、それを粛々と達成するために大学に来たわけではないはずです。そうですよね。「何をしに入ったのかよくわからない」という「タブラ・ラサ」、無垢な状態で、ただアンテナの感度だけが最大値になっている。そして、自分を惹きつける何か知的な求心力に...

みなさんにしても、数値目標や外形的目標を決めて、それを粛々と達成するために大学に来たわけではないはずです。そうですよね。「何をしに入ったのかよくわからない」という「タブラ・ラサ」、無垢な状態で、ただアンテナの感度だけが最大値になっている。そして、自分を惹きつける何か知的な求心力に反応しようとして大学に入学してきたはずです。 学生たちはそのときに自分の上に強い指南力を発揮する人を探します。そしてたいていの場合、出会います。それが「メンター」です。それは先輩でもいいし、教師でもいい。私たちをゲームに巻き込む人、それがメンターです。(p.56) この世に存在するのは「まともでないことを示す指標」だけです。「まとも」であることを示す実定的な指標というものは存在しません。ですから、アクレディテーションは論理的には「まともでないことを示すすべての指標を否定する」という絶対に終わりの来ない作業を意味することになります。 考えてもみてください。私たちがふだん市民として自由に街を歩き回っていられるのは、私たちが「まともな市民である」ことを証明できているからではありません。「まともな市民ではない」ことの証拠が示されていないからです。「推定無罪」の原理に基づいて私たちは市民権を行使できているのです。(p.79) 第二次世界大戦中の原爆製造のマンハッタン計画をご存知ですか。核兵器の開発はドイツでも並行して行われていて、アメリカは原爆製造で一歩先んじたわけですが、そのときにアメリカが極秘にしていたのは、原爆製造の工程ではなく、「原爆は製造可能である」という事実の方だったのです。原爆の場合は、核分裂の連鎖反応で地球そのものが吹っ飛ぶのではないかという仮説が、最後まで実験をためらわせていた。「アメリカが作れるなら、自分たちも作れるはずだ」という信憑がどれほどドイツ人のパフォーマンスを活性化するか、マンハッタン計画にかかわった人々は知っていたわけです。(p.147) 「学び」を通じて「学ぶもの」を成熟させるのは、師に教わった知的「コンテンツ」ではありません。「私には師がいる」という事実そのものなのです。私の外部に、私をはるかに超越した知的境位が存在すると信じたことによって、人は自分の知的限界を超える。「学び」とはこのブレークスルーのことです。(p.155) 自分が現に経験的に熟知している世界。リアルな世界。人々があくせくと働いて、愛したり、憎んだり、生まれたり、死んだりしている世界がここにある。それとは違う境位に、「外部」が存在する。そこに永遠の叡智がある。自分のいる世界とは違うところに叡智の境位がある。それを実感しさえすれば、「学び」は起動する。あとは、自分で学ぶ。(p.158) すべての人間的資質は葛藤を通じて成熟する。これは経験的にたしかなことです。あらゆる感情は葛藤を通じて深まる。 例えば、私たちは人を愛します。人を愛さずにいることはできない。人を愛することのもっとも高度な形態は「その人なしでは生きていけない」というかたちをとります。「あなたなしでは生きていけない」という言葉はもっとも純粋な愛の言葉ですけども、もしそれが事実なら、「あなた」を失ったときに、「私」は生きる意味も生きる支えも失ってしまうということをそれは意味している。しかし、「あなた」は実にしばしば私の前から姿を消す。わずかな行き違いから、あるいは偶然の事故や病によって。だとしたら、自分の幸福をたしかなものとして安定的に保持したいなら、「人を愛すること」はできるだけ避けた方がいいということになります。親も子も配偶者も友人も師も弟子も、およそその人を失うことが自分に深い喪失感を及ぼしそうな人をいっさい持たない、作らないというのが、人間として賢い生き方だということになる。 けれども、私たちはそんな空虚な人生におそらく耐えることができないでしょう。その人を失うことによって自分の人生が致命的に損なわれるような「危険な関係」を他者と取り結ぶことを私たちは切望している。 変な話だとは思いませんか?(p.252)

Posted byブクログ

2010/07/04

内田樹氏による教育論。 同じく内田氏著書である「先生はえらい」が子供に向けた教育論であるのに対して、 本書は教師をはじめとした大人向けの教育論であった。 僕が本書を特に薦めたい相手は、日頃ビジネス本を呼んでいる人。 本書を読むと、現在主流になりつつある「自己実現」、「自己責任...

内田樹氏による教育論。 同じく内田氏著書である「先生はえらい」が子供に向けた教育論であるのに対して、 本書は教師をはじめとした大人向けの教育論であった。 僕が本書を特に薦めたい相手は、日頃ビジネス本を呼んでいる人。 本書を読むと、現在主流になりつつある「自己実現」、「自己責任」、「効率主義」という考え方が、 もしかすると大きな間違いなのかもしれないという考えを持つと思う。 「人生は長く、時間の経過を考慮しないと解決しない問題も多い。」ということを、ひしひしと感じさせてくれる本。

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2010/06/27

教育とビジネスとの相違は、教育は時間がかかることに価値がある。すぐに結果が出ない。また、ビジネスはいくら何が売れたかが重要で誰に?はあまり問題にならないが、教育は何がより、誰に?が最も重要である。 古典を学ばなくてはいけない。なぜなら、現実にあることの「外部」にさらにすごいものが...

教育とビジネスとの相違は、教育は時間がかかることに価値がある。すぐに結果が出ない。また、ビジネスはいくら何が売れたかが重要で誰に?はあまり問題にならないが、教育は何がより、誰に?が最も重要である。 古典を学ばなくてはいけない。なぜなら、現実にあることの「外部」にさらにすごいものがあることを実感しそれを自分で認めた時、自分で学ぶスイッチが起動するのだ。古典にその「外部」のすごさがあるのだろう。教師はそのスイッチを押すだけでいい。私も子供に学びのスイッチを押してあげたい。

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2010/06/14

著者の教育者としての実感と、論理のアクロバットが絡み合う展開。「人間的成熟は葛藤を通じて果たされる。」 教育論とありますが、広く一般に面白い本だと思いました。私たちは教育と無関係ではいられないのですから。 第5、7章あたりが読みどころです。これから社会に出る人には第9章もおすす...

著者の教育者としての実感と、論理のアクロバットが絡み合う展開。「人間的成熟は葛藤を通じて果たされる。」 教育論とありますが、広く一般に面白い本だと思いました。私たちは教育と無関係ではいられないのですから。 第5、7章あたりが読みどころです。これから社会に出る人には第9章もおすすめします。

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2010/05/17

教育の問題は今の仕組みや今教育を担っている人を批判することで解決しない。代わりがいないのだから、実際に今教育を担っている人を入れ替えることはできない。だから、現場と外部が問題を共有することで現場の環境がかわっていくことでしか、問題解決はなされない。医療も同じ。担っている人に問題が...

教育の問題は今の仕組みや今教育を担っている人を批判することで解決しない。代わりがいないのだから、実際に今教育を担っている人を入れ替えることはできない。だから、現場と外部が問題を共有することで現場の環境がかわっていくことでしか、問題解決はなされない。医療も同じ。担っている人に問題があるとしても、そう簡単に別の人やシステムに変えられない。 中国の歴史では、王朝がかわるとすべて官吏も学者も入れ替えているが、日本では前の時代のものを一掃しない。一掃するだけの人材の余裕がないこともある。将棋の様に敵ですら、使わないとやっていけないのだ。人口・国土広さによるのか。

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2010/03/20

全体的に刺激的で面白かった。特に第1講「教育論の落とし穴」にある「教育は惰性の強い制度である」という言葉が自分にとって目から鱗だった。この章だけでも一読の価値はあると思う。

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2010/01/29

子どもが大人になるとき、本当に必要なもの。 それって、周りの大人を見る事なんだろうな、と あらためて気付く事ができました。 厳格や父親を持つ子には、 風来坊のおじさんやだらしない先生が。 親離れできない母親をもつ子には 放任主義のお稽古事の先生や さりげなく成長をフォローする...

子どもが大人になるとき、本当に必要なもの。 それって、周りの大人を見る事なんだろうな、と あらためて気付く事ができました。 厳格や父親を持つ子には、 風来坊のおじさんやだらしない先生が。 親離れできない母親をもつ子には 放任主義のお稽古事の先生や さりげなく成長をフォローする駄菓子屋のばあちゃんが。 うん、そうだよね。と大きく頷き 今の子ども達の育つ場の少なさに愕然とします。 こんな環境を持つために努力が必要な世の中なのです。

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2010/02/16

読み助2009年12月7日(月)を参照のこと。 http://yomisuke.tea-nifty.com/yomisuke/2009/12/

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2012/11/06

またまた内田先生。昨年どんどん出版された本の一つ。「消費社会とその価値観からのアジール(逃れの場)としての学校」これ以上の教育論は今のところないと思う。 「自分が現に経験的に熟知している世界。リアルな世界。人々があくせくと働いて、愛したり、憎んだり、生まれたり、死んだりしている...

またまた内田先生。昨年どんどん出版された本の一つ。「消費社会とその価値観からのアジール(逃れの場)としての学校」これ以上の教育論は今のところないと思う。 「自分が現に経験的に熟知している世界。リアルな世界。人々があくせくと働いて、愛したり、憎んだり、生まれたり、死んだりしている世界がここにある。それとは違う境位に、『外部』が存在する。そこに永遠の叡智がある。自分のいる世界とは違うところに叡智の境位がある。それを実感しさえすれば『学び』は起動する。あとは、自分で学ぶ。」 書き写しながらなんだか涙が出そうになる。「学び」は「この世界に遅れてきたもの」つまり私たちすべてにとって、必然だ。「外部」の優越を認め身を低くして教えを乞うことなしに何ごとも学べない。 考えるほどに今の学校をめぐる状況の打開は困難に思える。が、現状から、手持ちのコマで、進んでいくしかないという極めて現実的な筆者の考え方は、神戸女学院という勤務先での経験に裏打ちされていて実感がこもる。そこ(女学院)には消費文化の申し子のような学生達も(数多く)いれば、一方で、向学心のある優秀な学生も(一定数)いるであろうから。 いつも救われるのは、本気で今のシステムを憂え、何とかしようと献身的に努力する人が五人に一人(だったかな?違うかも)いれば世の中は何とかなっていくというプラグマティックな考え方。世の人みんなが改心し悔い改めなければどうしようもないという言質(ほとんどの論評はそうだ)には多くの人がうんざりしているはずだ。だから内田先生が受けるんだろうな。 今回一番う〜んと唸ったのは、教員になる人の世代的な特徴を述べたくだり。教員は常に「反権力・反体制」のエートスを帯びていて、それは、優秀だが貧しい師範学校出に始まり、社会党・共産党系の日教組全盛期を経て、新左翼崩れの教育現場への流入へと至るという指摘はあまりにも鋭い!しかもそうした理想主義的教師が、たとえ口で言うことと実践が違っていようと(いやむしろ違っているから)最も良い教師なのだという言葉は深く胸に落ちた。

Posted byブクログ

2011/02/21

一理ある。 いや、大いに納得したし、見解も広がった。 しかし、現場では適用しづらいものも多い。 秀逸は、なんといっても冒頭であろう。

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