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日時計の影 の商品レビュー

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2件のお客様レビュー

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2018/11/05

カリスマ的な語り口にやや陰が見られる気がするのは、「老いが私を支配してきた」せいか、それとも僕が中井氏の書いたものに慣れてきたせいか。しかしそれでもなお深く染み入るエッセー集である。「小さな花束」が特に良かった。

Posted byブクログ

2013/03/06
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※このレビューにはネタバレを含みます

著者は、神戸市在住。阪神淡路大震災を罹災した人々の心のケアに携わったことでも知られる著名な精神科医で、ギリシア語、フランス語で書かれた詩の翻訳家としても知られている。しかし、一般的には、端正で明澄な日本語のエッセイの書き手として知る人の方が多いのではないだろうか。事実、エッセイ集が出版されるたびに待っていましたというように書評に採りあげられる事実から見ても、氏のエッセイを心待ちにしている読者は少なくないにちがいない。 エッ セイの中身だが、まずは専門の精神科医として豊富な臨床体験を通じて得られた知見を、われわれ素人にも分かるやさしい言葉で語ったものをいちばんにあげたい。「統合失調症」という、ふだんはあまり関係がないと思われる病を得た患者が、この人の声音で語られるのを聴いていると、まるで日々接している身近な人々を前にしているような気がしてくるから不思議である。 それは、患者に相対したときにこの人の見せる医師としての姿勢から来るように思われてならない。精神科の臨床医として患者の治療にあたっているときも、患者の人間としての尊厳を最大限に尊重しようとして接している。 た とえば、氏は患者さんの話を聞くとき、好きなものとか、ひいきのチームとかの話題をよくとりあげるそうだ。病理話よりもそういうことから患者の人柄が見えてくるという。「病気を中心に据えた治療というのは、患者の側にとってみたら、病気で自分の人柄が代表されているということであり」、自己評価が下がる。「人柄に即してわれわれは治療していくわけであって、症状を剥ぎ取るのがわれわれの治療ではない」。「人はその最高かそれに近いところで評価されるべきで、最低で評価されたら身もフタもない」。「「タイガースファン」だけでもそのほうがまだずっとよいのです」という。自分が病んだら、こういう人に診てもらいたいと心底思う。 上に引用した部分の前には、有名な精神科医サリヴァンのケースワークの言葉が引かれている。こういうことを自分はいつも考えているが、それはなにも自分の発見ではない。すでに、他の人々がやっている、ということを、どんな時にも煩瑣にならない程度に触れるのが、この人の文章の特徴である。だから、多くの医師その他の名前が文章中に登場する。その中には、文学者も数多く出てくる。この本の中にも、ジョイスやプルースト、リルケやカロッサがごく自然に呼び出されている。本好きの読者を愉しませてくれるところかもしれない。 もちろん、専門外のことについて書かれたものも多い。時事的な問題にもふれる。エッセイストとしての氏は、医師として患者の前に立つ穏やかな人格とはうって変わって、けっこう熱い。ジャーナリズムを批判した次のような文章を読んで溜飲を下げた読者は多いだろう。 「ジャー ナリズムも庶民の医療に尽くす「赤ひげ」をあるべき医師の姿と讃えるのを止めてもらいたい。あれを読み聞かされるたびに、戦時中、孤島硫黄島兵士の孤立無援の奮闘を激励するラジオ放送を思い出して不愉快になる。あれは政治の欠如を個人の犠牲で補えということである。」 「赤ひげ」を別の誰か に、医師を他の職業に入れ替えれば、公益に尽くす多くの職業に通じるだろう。大震災の際、被災地で緊急医療に従事した医師の中にその後、重篤な病を得て亡くなった方が何人もいることをこの本を読んではじめて知った。それを医者の不養生のように評されて悔しい想いをした人がいることも。 少年時の切手収集や学生時代の登山のことなど、楽しい逸話にも事欠かない。読後、頭や心の中にあったもやもやしたものがどこかに消えたようなすっきりした感じが残る。

Posted byブクログ