なぜこんなに生きにくいのか の商品レビュー
感想 前に進むことが良いこととは限らない。生きづらさを認める。何かが変わるわけではない。でも心が軽くなる。隙間ができた心に何を詰め込もうか。
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※このレビューにはネタバレを含みます
不勉強なので失礼ながら初めて目にするお名前でした。 でも「はじめに」を読み、生きているのは良いことだという押し付けが無いところで「この人は信頼できる」と思いました。 最後まで読むと、「生きている方にチップを張った」と仰ってて、こういうスタンスで良いのかも…とちょっと心が軽くなりました。 読みやすいけれど、すんなり入ってくるのではなく、考えながら読む本だと思います。一度読んだくらいではわたしには呑み込めないので、どうやら文庫が出ているみたいなのでそちらを手元に置いて何度も読みます。 ポジティブだけじゃ生きていかれないし、人生の悩みにすんなり答えが見付かる訳がない。「生は苦です」という中でもどうにかこうにか試行錯誤してぼちぼちやっていこう。 「悩み」や「生きにくさ」に直ぐ様答えや対処法を与えてくれたり、お金を積んだらこれらが解決するというのはやっぱりおかしいな、とつくづく思いました。もう何年も前だけれど、読書会で隣の席の人から「なんで自己啓発本読まないんですか!?」みたいに言われたときに(なんで????)と思ったのがようやく言語化できた。(参加者たちも揃いも揃って自己啓発本ばかり紹介するなぁ…と思ってたら自己啓発セミナーの集団だったという思い出)
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風邪をひいているときとかに読む本。 やりたいことと必要とされる(認められる)ことがマッチすると幸せだなあ。 人間性はお金の使い方にあらわれる。どう稼ぐか?と同時に、どう使うか?も大切。 この世は約束だけでできている。→実存は関係性の中にある。 情報は大切だが、不要な情報は疲弊さ...
風邪をひいているときとかに読む本。 やりたいことと必要とされる(認められる)ことがマッチすると幸せだなあ。 人間性はお金の使い方にあらわれる。どう稼ぐか?と同時に、どう使うか?も大切。 この世は約束だけでできている。→実存は関係性の中にある。 情報は大切だが、不要な情報は疲弊させる。 自慢話よりも失敗談。 生活スタイルを変えなければ、人は変わらない。 いじめは常にいじめる側に問題がある。
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『自殺しない』『生きることを引き受ける』という決意・覚悟が人生を楽にする。 『自分とは何か』『人生をどう生きるか』という,一見,大上段に構えて日常生活と乖離しているかのような議論を,日々の生き方に食い込ませてくる。 南和尚の他の著作と異なり,親子関係について詳しく述べられてい...
『自殺しない』『生きることを引き受ける』という決意・覚悟が人生を楽にする。 『自分とは何か』『人生をどう生きるか』という,一見,大上段に構えて日常生活と乖離しているかのような議論を,日々の生き方に食い込ませてくる。 南和尚の他の著作と異なり,親子関係について詳しく述べられている点も特長。
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タイトルだけ見れば、よくありそうな本だけど、この本は左翼系の弱者擁護本でもなく、「弱い自分を受け入れて」的なメンタルセラピー本でもない。著者は禅僧であり、その内容は仏教の教え、言うなら東洋思想。 「なぜこんなに生きづらいのか」 これに対して、左翼本は他者との認知/承認...
タイトルだけ見れば、よくありそうな本だけど、この本は左翼系の弱者擁護本でもなく、「弱い自分を受け入れて」的なメンタルセラピー本でもない。著者は禅僧であり、その内容は仏教の教え、言うなら東洋思想。 「なぜこんなに生きづらいのか」 これに対して、左翼本は他者との認知/承認の関係性が希薄になっているからで、承認欲求が満たされていないからと答える。そして、メンタルセラピー本は、生きづらさは本当の自分と理想の自分のギャップ、つまり自己否定感からきていると答える。 仏教の開祖、釈尊はこう答えた。 「自己とは課せられたものであり、生きることそれ自体が「苦」そのものである」 仏教はプラスもマイナスも無い「空」を教える。無心になるために半眼で座禅を組む。その時間は、生という苦しみの中での、わずかな無の時間なのかもしれない。全ての意味を否定し、そしてこう続く 「ある人間がそこにいるということ自体が大事件である」
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図書館で目に留まって、図書館で読み終えた。 いつもなら見過ごしていたと思うが、ちょうど漱石の『門』やら『行人』やらを読んだ後で禅に興味があったのもあって、たまたま手にとった次第。 「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。」 普段考えていたようなことが色々書いてあるのに...
図書館で目に留まって、図書館で読み終えた。 いつもなら見過ごしていたと思うが、ちょうど漱石の『門』やら『行人』やらを読んだ後で禅に興味があったのもあって、たまたま手にとった次第。 「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。」 普段考えていたようなことが色々書いてあるのにちょっと驚いた(もちろん考えを異にする部分もあるが)。本書は常識の反転を謳っているようだが、私にとってはむしろ「あ、やっぱそうだよね。」という感じかなぁ。私に常識がなかったのか。そうか。 扱う領域を「著者の考える人間の生き方」にきっぱり限定しているのが、読んでいて比較的ストレスが少なかった理由だと思う。私は神にアレルギーがあるようだから。 自殺を放棄するのは凄く勇気のいることだ。 しかしまあ、これが仏教なのか?「禅」なのか?という疑問も。 もっと知りたい。
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あのですね、まさにこの心境だったのです。 いい本だった気がするけど、内容覚えてねえや。買ったときの気持ちだけ覚えてるな・・・
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南禅師は過激です。 現代社会に蔓延する孤独感に加えての空虚感。自分の価値の重力がわからないから軽く殺人を犯してしまう人々。自分探しからは何も生まれない。そんなのは逃避と同じ、自分を自分としてたらしめるのは他者との関係の中にしかない。人間は自殺を選ぶこともできる。人生は苦しく切ない...
南禅師は過激です。 現代社会に蔓延する孤独感に加えての空虚感。自分の価値の重力がわからないから軽く殺人を犯してしまう人々。自分探しからは何も生まれない。そんなのは逃避と同じ、自分を自分としてたらしめるのは他者との関係の中にしかない。人間は自殺を選ぶこともできる。人生は苦しく切ないことのほうが多いし、人生に正解などない。 だから「問い」を「問題」に構成しなおせるか、生きることを選ぶ覚悟がもてるのか、常識を疑う第三の視点を持っこと。そして仏教が扱うのは処世術ではなく処生術だよと、説く。 ブログに掲載されていたものも含んでいるので、読みやすくまたわかりやすかった。
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