夜戦と永遠 の商品レビュー
河出書房がすぐに文庫化したので、お蔵入りになってしまった。メリットとしては、図がでかいことか? あわてて買わず、文庫を待つべきだと言うことを学んだ。 本の内容については、文庫版のほうのレビューを参照されたし。
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フーコー主権論をわかるためのガイドラインになった。 なぜ、みんな(政治学徒)これを読まないのかしらん。 いや、なんとなく理由はわかっているけども。
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長くて分厚い、しかもラカン・ルジャンドル・フーコーといった哲学の中でも難解に属する思想家についての内容。にも関わらず、読ませる文章。すごい。 特に、フーコーについては僕の理解が甘かったこともあり、かなり理解が深まったというか変わった。特徴的な文体からは書くことに対する執念を感じた...
長くて分厚い、しかもラカン・ルジャンドル・フーコーといった哲学の中でも難解に属する思想家についての内容。にも関わらず、読ませる文章。すごい。 特に、フーコーについては僕の理解が甘かったこともあり、かなり理解が深まったというか変わった。特徴的な文体からは書くことに対する執念を感じた。慣れれば気持ちよくすらなる不思議な感じ。 これ読んだ後に読んだ「アナレクタ」2冊に、この本はライムスターに影響を受けていると書かれていたが、言われてみれば、そう思えなくもない。
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[関連リンク] なんて退屈。: http://d.hatena.ne.jp/wtnbt/20101215/1292892958
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今までのフーコー観が変わる本。 特に『監獄の誕生』の読み方は変わるかと。 また、ラカン、ルジャンドルを読んだことがなかったけれど、 ルジャンドルはすごく面白いと思った。 独特のラップ調で刻まれる文体は、 好き嫌いが分かれるところかと思うが (年配の人には好かれないかも)、 「...
今までのフーコー観が変わる本。 特に『監獄の誕生』の読み方は変わるかと。 また、ラカン、ルジャンドルを読んだことがなかったけれど、 ルジャンドルはすごく面白いと思った。 独特のラップ調で刻まれる文体は、 好き嫌いが分かれるところかと思うが (年配の人には好かれないかも)、 「それでよい、それだからこそよい」。
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今まで読んだ中でもっとも〈感動〉した哲学書。こういう本――こういう文章には、滅多に出逢えない。とても値段は張るが、その価値はあると思う。とはいえ書誌情報をテクノロジーを介して手に入れたところで挑戦するのは危険といえるから、まず一度図書館で借りて読んでみることを勧めたい。
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600ページを超え、凡庸な物謂いだが、凶器にもなり得る厚みと重さを兼ね備えた本書「夜戦と永遠」は極めて煽情的な書物である。時に迸り滾るような熱のこもった文体で、また時に精緻にその議論に寄り添うように落ち着き凪いだ文体でラカン・ルジャンドル・フーコーの理路を辿っていく。難解の極みと...
600ページを超え、凡庸な物謂いだが、凶器にもなり得る厚みと重さを兼ね備えた本書「夜戦と永遠」は極めて煽情的な書物である。時に迸り滾るような熱のこもった文体で、また時に精緻にその議論に寄り添うように落ち着き凪いだ文体でラカン・ルジャンドル・フーコーの理路を辿っていく。難解の極みと称されるラカン。その理論を発展させ、「天窓を押し広げ」、法・社会・制度へと拡張するルジャンドル、その二人を批判するも、自身の立論を変転させるフーコー。そして幾多の変転の先に、そしてラカン・ルジャンドルとも手を結んだ先に見出される「夜戦と永遠」の地平へ。 ラカンとルジャンドル。両者の要諦について緊密に、一定のテンスを保持したままに明示した後、一旦ペースを落とし、最良の入門書とも言い得るほどに丁寧にかつまた明快にフーコーを、その権力モデルの変節と混乱を概説する。これらの理路を詳述し展開していくだけの知的膂力はあいにく持ち合わせてはいないけれども、装置としての「鏡」や大他者の享楽(ラカン)、生の与件・根拠律、戦略的兵器としての世俗化、中世解釈者革命(ルジャンドル)、ネオリベラリズム批判や言表と可視性の遭遇(フーコー)など示唆に富み刺激的な論考がこの大著にはそこかしこに配置されており、そしてその長い道のりとその先に見出される「夜戦と永遠」の地平には、読む者を勇気づけ鼓舞するものが張っている。 今、ここで「自由」と「革命」について謳い語り歌いあげること。それがこの「夜戦と永遠」には書き記されている。だからこそ本書は、何度も読み継ぎ、読み続けねばならない。何も終わらない、何も。 「愛と憎悪に挟撃されて切歯扼腕し、肉慾の小ささを底の底まで知りながら寄る辺もない愛撫を繰り返しては打ち震えて甘やかな消耗に細く長く吐息をつき、夜の闇を切り裂く街燈の青い光のもとで人の目を盗むようにして軽犯罪の薄い享楽にたまさかのあいだその身を解き、ある姿に身を焦がして憧れてはその姿の卑小さに気づいて鉄錆を口に含むような苦きにすぎる失望を味わい、子どもができたと告げられて内心の動揺を喜びの表情のなかに押し殺し、慣れぬ手つきで泣きわめく子どもをあやし躾け言葉を教えては懇々と言い聞かせ、そうしているうちに誰とも知れぬ子どもの泣き声が響くたびに身を乗り出す癖がふと身から離れなくなり、長じた子との遣る瀬もない詰りあいを演じては自らの若き日を回顧し、自らの矮小さを見抜く子の冷徹な眼差しに打たれてその身の処し方に誤りがなかったかと狼狽し、そしてゆくりなくおのれの居住まい身じろぎが老いの震えを身に纏っていることに気づき、古い友人が死んだとの一報を何か緩く解けた脱力のなかで聞いて駆けつけた葬礼で挙措を失い、あの懐かしい床、生を享け愛と憎悪を交わし病に伏したいつも体液が零れ染みついたその床で、自らの死が成就になることなくその消滅と成り果てる」者が、 「今日はどの日々とも変わらない一日であり、どの日々も今日と変わらない一日であり、他の日々とはひとつも似たことのないこの一日」を生きるために。 参考文献 佐々木中「この執拗な犬ども」『現代思想 2009年6月号 特集=ミシェル・フーコー』 丹生谷貴志「〈構造〉は街路に降りたか 覚書」『現代思想 2010年1月号 特集=レヴィ=ストロース』
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