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いつかソウル・トレインに乗る日まで の商品レビュー

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6件のお客様レビュー

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2010/04/10

高橋源一郎は名前をよく見るので読んでみよう・・・と手に取った小説。過去の体験(安保闘争やそれに絡む様々な体験)に捉われながらも日々を過ごす主人公に訪れる転機。恋愛はかなり現実的でないように思え感情移入しにくかったのですが、文体は読みやすく楽しめました。登場人物が考えた物語(と書く...

高橋源一郎は名前をよく見るので読んでみよう・・・と手に取った小説。過去の体験(安保闘争やそれに絡む様々な体験)に捉われながらも日々を過ごす主人公に訪れる転機。恋愛はかなり現実的でないように思え感情移入しにくかったのですが、文体は読みやすく楽しめました。登場人物が考えた物語(と書くと1Q84のようですが、あくまで挿話)が幾つか登場し、それらも妙に印象深かったです。

Posted byブクログ

2009/12/26

最初これは本当にタカハシさんの書いたものなのだろうか、との疑念が浮かぶ。"超純愛小説"ということなんですが、もちろん"恋愛小説"ではありません。 ということですが、「隣の房の男」に話す「宇宙の果て」の話のところくらいから何だか乗ってきま...

最初これは本当にタカハシさんの書いたものなのだろうか、との疑念が浮かぶ。"超純愛小説"ということなんですが、もちろん"恋愛小説"ではありません。 ということですが、「隣の房の男」に話す「宇宙の果て」の話のところくらいから何だか乗ってきました。 タカハシさんは、これまで色んなものをネタして色んな形でブンガクしてきました。それは明治の文豪たちだったり(『官能小説家』)、小林一茶だったり(『ゴーストバスターズ』)、宮澤賢治だったり(『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』)、アダルトビデオだったり(『あ・だ・る・と』)、漫画だったり(『ペンギン村に陽は落ちて』)、プロ野球だったり(『優雅で感傷的な日本野球』)だったり、した。ソウル・トレインは形として小説である「純愛小説」に仮託してタカハシさんの小説を書いたので、とても違和感があったのかもしれません。 忘れること、忘れてしまうこと、思い出しをすること、色んな風に時間が流れること、目的に辿り着くこと、終わること、名前を付けること、書くこと、これまでにモチーフにされてきたものがそう思うといくつも含まれているように感じます。 例えばこの本で触れられた名付けられることや工場で働くことについては、実質的な処女作の『さようなら、ギャングたち』の中ですでに書き込まれています。本当のところ、タカハシさんの意図など分かるものではないのだけれども、自分がそう感じたということが重要なのだと思い勝手に読み進みます。 --- "ソウル・トレイン"、読む前は、1970年代の有名なアメリカのブラックミュージックのTV番組のことか、ジョン・コルトレーンの名作か、と思ったら全然違ってました。韓国のソウルのことなんですが、なぜこのタイトル?うーん。 --- 何だか勝手に考えさせる小説です。タカハシさんは、いつもそうなのですが。タカハシさんが書いた小説でなければ、何も考えない内容なんでしょうけれども。 最後に気になるのは巻末の「参考にしたもの」です。今までこんなものが載っていたことはなかったはず。何か特別な意味があるのか。気になる...

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2009/10/04

日本語!て感じのきっちりした文章による会話文多し! なんだか好きです、この雰囲気。 はじめの方はつらーっといつも通り読んでいったけど、 途中から読んでいくのに拍車がかかって、マッハで読み終わりました。 最後まで読みきって・・・・あー!!!!!みたいな。好きです。

Posted byブクログ

2009/10/04

高橋源一郎氏の名前を目にする機会が最近多かったので、とりあえず目に付いたものを手にとってみました。 氏の作品の中ではかなり異色、だそうです。 「文藝」誌に連載されている短編連作しか読んだことがないので私には良く分かりませんが……。 内容は著者ご本人も仰っているように、「超純愛小説...

高橋源一郎氏の名前を目にする機会が最近多かったので、とりあえず目に付いたものを手にとってみました。 氏の作品の中ではかなり異色、だそうです。 「文藝」誌に連載されている短編連作しか読んだことがないので私には良く分かりませんが……。 内容は著者ご本人も仰っているように、「超純愛小説」。感情の直球、直球でした。 色々なところへ行ったり人に出会ったりはするのですが、筋書きと言うほどのストーリーはなくただただ感情の描写が続きます。 「過去」と「現在」が混ざり合い、行動と回想を行き来する、というよりは「現在」に「過去」の要素、エッセンスのようなものが見え隠れするという感じです。 最後の10ページはもう本当に、一気に読ませられました。 明確な説明はせずになんとなく「真実」を感じさせるような書き方だったので、すごくじわじわと染みてくるようでした。 この小説は、こういうことがあって、ああいうことがあって、という風に粗筋にできるような小説ではありません。 殆どはただ、美しい景色に乗せて感情が表されているだけです。あえてこんな話だったよ、と纏めてしまえば凄く短いお話になるものでしょう。 そうやって長いこと感情が書かれていることによって、読者は遠い遠いところ、世界の果てにまでもだんだん連れて来られます。 文章を重ねて重ねて、どんどんどんどん走ってゆく。 そして最後の10ページで「真実」をポン、と目の前に置かれた時に、私たちは初めて自分がやってきたその距離の遠さ、切なさを感じるのです。 人によっては感情描写が積み重ねられている、遠くに連れて行かれている段階がつまらなく感じるかもしれませんが、 私にとってはそこは苦ではありませんでした。グイグイと読み進めていくことが出来ました。 この小説は本当に面白い小説だと思いました。

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2009/10/04

 一年以上ぶりに小説を読んだ。長い休みの後に読書を再会するなら、小説の読み方を思い出すために、よく知っている小説家を選ぶ必要があると思っている。迷いなく、高橋源一郎の最新作を選んだ。  あまりに久しぶりの読書なので、本を間違えたのかと思った。本を読んでいる最中に、著者を確認したの...

 一年以上ぶりに小説を読んだ。長い休みの後に読書を再会するなら、小説の読み方を思い出すために、よく知っている小説家を選ぶ必要があると思っている。迷いなく、高橋源一郎の最新作を選んだ。  あまりに久しぶりの読書なので、本を間違えたのかと思った。本を読んでいる最中に、著者を確認したのは始めてだ。でも、本は間違っていなかったし、カバーだけが入れ替わっているということもなかった。きっと以前のように本を読んでいても、これが高橋源一郎の小説かどうか、同じように確認しただろう。  この小説は、少し前に出た評論『ニッポンの小説 百年の孤独』とほぼ同時期に連載されていた。それを思い出して、パラパラとめくっていたところ、こんな文章にぶつかった。 その世界を、「外部」を読み解くために、小説が存在しているのであって、小説を、あるいはテキストを読むために、世界が存在しているのではない。そう、わたしはいいたいのです。(51)  小説の中には、小説内小説といえるようないくつかの小説が存在している。どれもとても似ているような気がして、それと同時に小説の主人公のその後も考えてしまうようなところがあって。それら、考えてしまう主人公の「その後」こそ、ここでいう「外部」なのかなと思った。

Posted byブクログ

2009/10/04

源一郎さんは、こんな恋愛小説をかくのか。 でもあんまりこの娘に恋をする理由がないように思えた。 あと、恋愛小説でなくていい気がした。 なぜだろうなぁ。

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