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石川九楊 源氏物語書巻 五十五帖 の商品レビュー

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2011/05/07

序文で次のように述べられる。 「何という文を書いたかではなく、どのように文を書いたか、つまり、文の書きぶりを第一義とする表現が書である。 筆尖の紙に対する接触(起筆)と摩擦(送筆)と離脱(終筆)の態様たる筆画――その深浅(深度)、遅速(速度)、側直(角度)、そしてその方向(ベクト...

序文で次のように述べられる。 「何という文を書いたかではなく、どのように文を書いたか、つまり、文の書きぶりを第一義とする表現が書である。 筆尖の紙に対する接触(起筆)と摩擦(送筆)と離脱(終筆)の態様たる筆画――その深浅(深度)、遅速(速度)、側直(角度)、そしてその方向(ベクトル)が書きぶり(筆触)の根幹であり、その筆触の集積と集積律たる構成とがあいまって、書という表現は生まれている。 習い憶えた伝統的な書の手法では、現在の書の表現たりえない。それが現在の書に重くのしかかる災厄である。」 なるほどその定義付けなら、この作家の書は現在の書の最高峰だろう。しかし、文と書きぶりが呼応して初めて唯一無二の表現が生まれるのが書ではないだろうか。 字形に拘らず線画を追求した作品は書の新たな可能性を提示したかもしれないし、構築された世界の完成度には驚嘆するばかりである。しかし、「澪標」の毛髪のような表現に文として読み解く余地はなく、「雲隠」「夢浮橋」のように文に相当するものを書かない表現を仮に画と呼んだとして何の不都合があるだろう。 文の血肉である字形の解体が行き過ぎると、書の命が削がれるように感じる。 それはともかく、鑑賞するには好きか嫌いかだけでよいのだが、密集した線画には緊張を強いられるし、画面として楽しむには呪術的な異様さが感じられるため私は苦手である。ただ、その異様な感覚こそ、文が内包されていることに由来するのかもしれない。 好きな作品を挙げるなら、シンプルな「野分」と、完成度が高い(ように感じる)「柏木」。

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2009/10/04

2008/11 石川九楊の作品集。氏独自の世界で源氏物語が綴られている。この作品を理解するのは不可能としかいえないが、マニアとしては持っていたほうが良いのではと感じる一冊。

Posted byブクログ