アジアの岸辺 の商品レビュー
短篇集の巻頭を飾る一篇が持つ意味は大きい。初めての作家なら書き出しを読んで、この後読み続けるか、そこで本を閉じるかが決まる。「降りる」は、冷蔵庫内や食器棚に並ぶ日常的な食べ物の羅列ではじまる。あまりSFらしくない開始だ。「60~70年代の傑作SFを厳選」したという触れ込みのシリー...
短篇集の巻頭を飾る一篇が持つ意味は大きい。初めての作家なら書き出しを読んで、この後読み続けるか、そこで本を閉じるかが決まる。「降りる」は、冷蔵庫内や食器棚に並ぶ日常的な食べ物の羅列ではじまる。あまりSFらしくない開始だ。「60~70年代の傑作SFを厳選」したという触れ込みのシリーズ物を手にとりながら、そう思うのは、実はSFらしいSFには食傷しているからだ。特にSFファンというのではない。面白い小説を探しているうちに、このシリーズに迷い込んでしまったのだ。 デパートの最上階のレストランから降りるエスカレーターの上で、買ったばかりの本を夢中になって読んでいるうちに、いつまでたっても地下に着かないことに気づいた主人公が、出口のない降り専用エスカレーター内で右往左往ならぬ上昇と下降を繰り広げる、悪夢のような時間を乾いたユーモアをまぶした筆致で描いた短篇。不条理感が際立つ。こいつは面白そうだ。 その次に控えるのが、エンバーミング技術が進化したせいで、防腐処理を施された遺体と暮らす生活に我慢できなくなった夫が妻に無断で家族の遺体を火葬場に送ることから起きるいざこざを描いた諷刺色の強い「争いのホネ」。ここまでくると作家の個性が読めてくる。悪趣味といってもいいくらい諷刺がきつい。人によっては死者、あるいは死そのものを諷刺の対象にすること自体を忌み嫌うものだ。逆にいえば、そうした、人が笑いの対象にしないもの、採りあげることが批判されそうな対象をからかうことが好きな作家なのだ。 革フェチのおかまが、それを抑制するためのセラピーを受けたせいでファナティックな極右に変貌を遂げる「国旗掲揚」で諷刺の対象となるのは、アメリカにおけるゴリゴリの極右。たしかそのはずだが、変身過程があまりにリアルに描かれるため、周囲のリベラル派がやきもきする様の方がおかしくも見えてきて、単なる革フェチの隠れゲイを認知しようとしない周囲の価値観との軋轢が、極右政治家の台頭を促すことにつながることを仄めかしているようにも思えてくる。いったい誰を揶揄するつもりなのか。それもこれも含めて一筋縄ではいかないアイロニカルな作風である。 ほかにも自殺願望を持つ女性や、パフォーミング・アーツ、批評家、フェミニズムとトマス・M・ディッシュはミダス王よろしく手を触れるものすべてを諷刺の対象にしないではおかない。そんななかで、表題作の中篇「アジアの岸辺」は、その長さのせいもあってか、他の短篇とは一線を画す異色作。イスタンブールを舞台に、人間のアイデンティティの不確かさを主題にした幻想小説である。フリオ・コルタサルが書きそうな、二つの世界を生きる主人公の不思議な体験が、アジアとヨーロッパを結ぶトルコの異国情緒溢れる雰囲気を背景に幻想色豊かに描き出される。 どこから出発したのかが、作家の階層を決めるということがアメリカにもあるらしい。脚光を浴びたのが、SF雑誌だったことが「ニューヨーカー」誌に自分の作品を載せることを難しくした、というような意味の発言を作家本人がしている。「ニューヨーカー」に載ることの意味はともかく、たしかに、本邦初訳のものも含めて、短篇には風刺小説を得意とするSF作家の個性を感じさせる。一方、表題作から窺がえるのは、もっと別の小説を書く力を充分に持っている作家だということだ。発表の場が、作品の傾向を決める、ということはあったのかもしれない。短篇、中篇でこれだけちがう作風を示すなら、長篇が是非とも読んでみたくなる。そんな作家である。
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降りる、リスの檻、アジアの岸辺が秀逸。死神と独身女も面白い。しかし、万人受けはしないし、特に女性は嫌悪感を抱きかねない。公共の場で読むことが若干憚られた。
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誤字、直してください。 誤訳も。 よろしく、です。 二倍ダッシを二行にまたがるようにしてしまって 平気な編集者は、いかがなものか。 こういう版元は期待されているのですから、 しっかり仕事をしてほしい。
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トマス・M・ディッシュの日本オリジナル短編集。 哀れで救われない話ばかりで、はじめの3作品まで読み終えた時には、ただ単に暗くなるだけの話ばかりで、何が良いのかさっぱり分からず投げ出そうかと思った。 しかし、もう少しだけと思い読み進めると、哀れで救われなさが微笑ましくも感じられ始め...
トマス・M・ディッシュの日本オリジナル短編集。 哀れで救われない話ばかりで、はじめの3作品まで読み終えた時には、ただ単に暗くなるだけの話ばかりで、何が良いのかさっぱり分からず投げ出そうかと思った。 しかし、もう少しだけと思い読み進めると、哀れで救われなさが微笑ましくも感じられ始め、最後まで一気に読み終えることが出来た。 不条理の中に潜むブラックユーモアが段々癖になり、結果トマス・M・ディッシュの他の作品も読みたいと思えるようになった。 自由会話をするには試験に合格し免許を取得しないといけない架空のアメリカ社会を描いた「話にならない男」と、読書界を悪意いっぱいに風刺した「本を読んだ男」が特に良かった。 【収録作品】 ・降りる ・争いのホネ ・リスの檻 ・リンダとダニエルとスパイク ・カサブランカ ・アジアの岸辺 ・国旗掲揚 ・死神と独身女 ・黒猫 ・犯ルの惑星 ・話にならない男 ・本を読んだ男 ・第一回パフォーマンス芸術祭、於スローターロック戦場跡
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先日、惜しくも自殺してしまったトマス・M・ディッシュの日本オリジナル短編で、編者は若島正。 表題作含め、本邦初訳のものが多いとのことだが、 現時点で邦訳済みのディッシュ作品そのものが入手しづらい現状があるので、 いずれにしても貴重な一冊に変わりはない。 クールな印象から羽目を外...
先日、惜しくも自殺してしまったトマス・M・ディッシュの日本オリジナル短編で、編者は若島正。 表題作含め、本邦初訳のものが多いとのことだが、 現時点で邦訳済みのディッシュ作品そのものが入手しづらい現状があるので、 いずれにしても貴重な一冊に変わりはない。 クールな印象から羽目を外した感覚のものまで、かなりヴァラエティに富んだ作風だった。 「いさましいチビのトースター」しか知らなかったが、いや驚いた。 「犯ルの惑星」と「トースター」が同じ作家の手によるものとは......。 皮肉と風刺が利いた作品が多く、編者あとがきで「知的で意地の悪い作風」とあったのに納得した。 収録作品の中で群を抜いて評判の高い「リスの檻」のほかでは、 私個人的には「降りる」がとても気に入った。 不条理以外の何者でもない、この作家の目線ときたら! 名著と誉れ高いサンリオSF文庫での三冊 「キャンプ・コンセントレーション」「334」「歌の翼に」の再販を願いつつ、 ディッシュの冥福を祈りたい。R.I.P.
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●すばらしいー。なんとまあ底抜けの悪意。 ●悪ってか不条理と言うか、まっとうに生きてるはずの人が、なんだってこんな悲惨な目に。 ・・・と言う慨嘆は、実はハズレ。 だってSFだもんね、と。 どんなことだって起こりうる、ではなくどんな設定だってありえる。 とは言え、『国旗掲揚』とか...
●すばらしいー。なんとまあ底抜けの悪意。 ●悪ってか不条理と言うか、まっとうに生きてるはずの人が、なんだってこんな悲惨な目に。 ・・・と言う慨嘆は、実はハズレ。 だってSFだもんね、と。 どんなことだって起こりうる、ではなくどんな設定だってありえる。 とは言え、『国旗掲揚』とかマジありそう。『争いのホネ』とかも。ヤンキー(差別語)のやるこたわかんねえだ。(←自分まっとうな知り合いいるくせに。ジャップはわからねえぜF××K、と同程度にとって下さってけっこうです。) 表題の『アジアの岸辺』は、大変美しいと思います。幻想的でとても混乱している。 や、混乱してるのはどの話もだけど。イスタンブルまた行きたい。 甘ちゃん(古)な私のお好みと致しましては、比較的スイート(・・・)な『死神と独身女』『話にならない男』あたりで。 『降りる』を読んだ時はどうしようかと思ったけどな・・・なんかある意味明日は我が身というか・・・(恐)
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風刺と奇抜なアイディアが持ち味の短編集。そんな中でも表題作の「アジアの岸辺」と「話にならない男」はそういった風刺とかアイディアと飛び越えた文句なしの傑作です。
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「人類皆殺し」でお馴染み?のディッシュ待望の短編集。恐らく第一話「おりる」でディッシュテイストを堪能できるでしょう。その先は・・・
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最近の翻訳事情ではあまり名前を聞かれなくなってしまったディッシュの短篇集。 意外にも日本初の短篇集。 収録作品 『降りる』 『争いのホネ』『リスの檻』『リンダとダニエルとスパイク』『カサブランカ』『アジアの岸辺』『国旗掲揚』『死神と独身女』『黒猫』『犯ルの惑星』『話にならない男...
最近の翻訳事情ではあまり名前を聞かれなくなってしまったディッシュの短篇集。 意外にも日本初の短篇集。 収録作品 『降りる』 『争いのホネ』『リスの檻』『リンダとダニエルとスパイク』『カサブランカ』『アジアの岸辺』『国旗掲揚』『死神と独身女』『黒猫』『犯ルの惑星』『話にならない男』『本を読んだ男』『第一回パフォーマンス芸術祭、於スローターロック戦場跡』 実はディッシュって、『プリズナー』と『ちびのトースター』しか読んだことないんだよねぇ。 かたやノベライズ(みたいなの)、かたやジュヴナイル、と言うコメントに困る読み方。 そんなわけで、まともなことは書けません。 この短編集を読んだ限りの感想としては、 事態が何が起きているのかよくわからないけど、じわじわと不安になってくる。 その事態そのものは一見シュールに見えるが、 何をしたわけでもない、無作為に選ばれたかのような当事者たちは混乱の極み。 第三者たる我々が観察している、という感じかな。 さて、気に入ったのは、 ・『降りる』 いつものようにデパートで買い物をして、お茶を飲んで帰る男。 しかし、エスカレーターがいつまで経っても1階に着かない。 一体、どこまで降りるのか…… 『トワイライトゾーン』にありそうなお話。 ・『リスの檻』 何もない部屋に男が一人。 そこにはタイプライターが一台あるだけ。 食事はしたいときに出てきて、毎日新聞が置かれている。 自殺しようにも壁は柔らかい。 一体、自分はいつから、なぜここにいるのだろうか? 以前にも読んだんだけど、なんかよく意味が分からない。 好きなんだけど。 ・『アジアの岸辺』 建築の評論家。 自説を確かめるために、トルコのイスタンブールに滞在する。 しかし、そこで、何故か自分を追う女と少年に遭遇する。 さらに記憶や思考もあいまいになって…… グレアム・ジョイスの『鎮魂歌』にちょっと似てるかも。 あの、イスタンブールの密集した熱気に浸食していく様が何とも。 個人的には、トルコに行ったときのことがフラッシュバックして、かなり楽しめた。 ・『死神と独身女』 人生に飽きて、死を決意した女。 そこで死神に電話すると、さえないサラリーマン風の死神がやってくる。 自分を口でイカせられたら無事死を与えようと言われるが…… まぁ、どうでもいいような話なんだけど、結構好き。 ・『犯ルの惑星』 遠い未来。 地球には女しか住んでおらず、男は全て宇宙軍に入っていた。 一定の年齢になると、女は〈快楽島〉と呼ばれる場所に行き、 休暇中の男に強姦され、妊娠する社会構造になっていた。 本来、記憶消去薬を飲まなければならないはずなのだが、 コリーはそれを飲まず、この社会の真実を知ることになる。 フェミニストが怒りそうな内容。 個人的にはかなり笑っちゃったけど。 マニュアル君で、マニュアル通りじゃないと勃たない男。 人形でなく、生身だと萎えちゃうとか、 以前、古本屋で生身よりエロ漫画の方がいいと言っていた少年たちを思い出します(笑) ・『話にならない男』 試験に合格しないと自由に喋ることができない社会。 主人公は、試験を受けたがコンピュータのミスで結果が消えてしまい、 仮免許を交付される。 3か月間は自由だが、その間に免許を取った人間から、 推薦状を3枚もらわないと、正規の免許にはならない。 人の話に反応することはできるのだが、 自分からネタを作ることができず、なかなか推薦状が集まらない…… これも特に理由がないんだけど、なんか好き。 ラストの雰囲気がいいかな。
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