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裏千家今日庵歴代(第9巻) の商品レビュー

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2021/08/15

不見斎石翁は裏千家九代目。は江戸時代の1746年生まれ、1801年没である。花を生けることで独創性を発揮した。不見斎の茶会デビューは1758年の宗旦百回忌である。ここで花を生けた。11歳という若年ながら美術的感性を見せつけ周囲を驚かせた。 千宗旦は千利休の孫であり、千家三代目で...

不見斎石翁は裏千家九代目。は江戸時代の1746年生まれ、1801年没である。花を生けることで独創性を発揮した。不見斎の茶会デビューは1758年の宗旦百回忌である。ここで花を生けた。11歳という若年ながら美術的感性を見せつけ周囲を驚かせた。 千宗旦は千利休の孫であり、千家三代目である。この宗旦の息子三人が各々、武者小路千家(一翁宗守)、表千家(江岑宗左)、裏千家(仙叟宗室)を興し、現代に至る。茶道の理念的な祖は利休であるが、実質的な祖は宗旦と言ってよい。単独相続ではなく、分割相続によって茶道は発展した。茶道具が分割できないという論理は成り立たない。 不見斎好みの籠花入に若狭籠がある。若狭籠は「若狭かれい」など若狭産の水産物を詰める竹籠である。魚を詰める容器であり、平べったいものである。現代でも「若狭かれい」などの通販では若狭籠に詰められて送付される。「若狭かれい」の皇室献上品も若狭籠に詰めて献上される(「若狭かれい 厳選75匹を皇室献上 小浜 /福井」毎日新聞2017年12月6日)。 懐石料理店「辻留」二代目主人の辻嘉一の文章「母の面影と鋏」には以下の記述がある。「若狭の小浜では昔、舟が帰って来るのを待って、村人全部が魚をひらき塩をして、小判形の若狭籠に一段ずつ大笹を挟んで詰め入れ、天秤棒でかついで山越しで夜露に濡れながら夜明け方に京都へつくのでした」(お茶の水女子大学『幼児の教育』第77巻第11号、1978年、43頁)。「辻留」は裏千家からの指導をもとに京都・東山に開いた懐石料理店であり、裏千家の縁が深い。 若狭籠は籠花入としてはマニアックな部類に属する。同じ籠花入でもメジャーな部類に属する落葉籠とは大きく異なる。落葉籠は元々、農家が堆肥をつくるために集めた落ち葉を入れる籠であった。落葉を沢山詰められるように縦に長い円柱形である。落葉を詰めて持ち帰られるように取っ手が付いている。

Posted byブクログ