川端康成 の商品レビュー
短編も長編もいつの間にか、読み入ってしまう流石の筆力。 映画や舞台化されている様子が浮かんでくる…
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有難う は、わずか4ページだ 石田衣良が、いつの間にか泣かされてしまうと言うのも首肯できる とても良い
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
『雨傘』 若い男女が相合傘をしているということから「恋愛」という背景を想像することができる。しかし、それは「恋愛」という幅広いものではなく、男女の恋愛模様に初々しさが見えることからも「イニシエーションラブ」つまり、通過儀礼としての「初恋」(特別な恋愛)という大人に近づく為の一歩を背景として描かれている作品だと考える。なぜなら、この作品の「恋愛」における通過儀礼を芸術として読み取れる文脈があるからだ。例えば、「初恋」というものが連想できる文脈を考えた時に、まず少年の初恋について、「少女に身を寄せることが出来なかった 」とあるように、若い男女が「少女は一方の肩だけを傘に入れた 」つまり、相合い傘をしているのにも関わらず「おはいりと」彼女に言うことが出来なかったことから、慣れていない初々しい恋愛模様を描いているのでないかと読み取れたのである。また、写真屋に入り写真を撮る際も「少女の体に触れた初めだつた 」、「その指に伝はるほのかな体温で、〜温かさを感じた 」とあるように少年は今まで少女にも触れたことがないピュアな少年だと言うことがこの文脈からも分かると考える。加えて、少女についても、「少年を見上げると頬を染める 」というように頬があからみ恥ずかしがっていたり、照れていたり、嬉しがっていたり(これはそのあとの「明るい喜びに眼を輝かせて 」という文脈から読み取れる)といったような様々な想像を連想することができる一文であり、またそれはピュアな恋愛という意味でも文脈から読み取れるのではないかと考えるのである。さらに「男の前では恥ずかしくて、〜化粧の真似もできない少女だつた 」という文章からも男慣れをしていない、また化粧つまり大人のような仕草真似もできない、すなわち、まだ大人にはなれない子どもだ(「少女 」という言葉からも読み取れるが)ということが分かると考える。このことから、恋愛豊富、または恋愛経験者では取らないような不慣れ感、感じ方をしていること分かることからも男女共が「初恋」なのではないかと考える。しかし、このように、お互いにピュアな恋愛感を芸術性に入れているだけなら、ただ普通の「初恋」の物語に過ぎないが、最後に「夫婦のやうな気持で帰つていくのだつた 」というように書かれている。この文脈から読み取れるようにこの作品にはただならぬ「初恋」というものを書くだけではなく、その「初恋」から互いに大人(夫婦 )になっていくような特別な通過儀礼を作品としては短いながらも芸術性をうまく使いこなし、表しているのではないか、と考えるのである。このように、「恋愛」または「初恋」を描く上で、その「初恋」という意味を通過儀礼、つまり「イニシエーションラブ」といった誰もが恋愛をする上で通るまた、特別なものとして、空間や描写、背景そして最後には成長を(「傘についてのただこれだけのことで 」という文章にもあるように)「傘」を用いて「イニシエーションラブ」を連想させるような特別な作品を作り上げたかったのではないかと考える。
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短編「葬式の名人」、「掌の小説」より七編、長編「山の音」が収められている。 川端康成は日本風の叙情味あふれる作家だとなんとなくイメージしていたが違った。 作品は硬質だった。 「山の音」は、老夫婦と息子夫婦が同居するある程度裕福な世帯の日常を、鉄筆で描いたエッチング画のような作...
短編「葬式の名人」、「掌の小説」より七編、長編「山の音」が収められている。 川端康成は日本風の叙情味あふれる作家だとなんとなくイメージしていたが違った。 作品は硬質だった。 「山の音」は、老夫婦と息子夫婦が同居するある程度裕福な世帯の日常を、鉄筆で描いたエッチング画のような作品で、作者の冷ややかな観察眼が特に印象的だ。 だが冷ややかすぎて楽しくない。構成はカチッとしていて揺るぎなく、作品としてそれは立派なものだが、イヤな中身である。 こういう冷徹な観察家はえてして極端なエゴイストだったりするが、川端康成もそうだったに違いない。底意地の悪さのようなものが滲み出ていて不愉快だ。 川端康成は不愉快な作家なので私は嫌いだ。
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どうして今頃川端を?自分でそう思いながら読み返しました。三度目の「山の音」。掛け値なし、傑作です。 二十代に読んだ時には、「卑猥」だと感じました。四十代の終わりに読んだ時には「うまい」と思いました。今回「参りました」。 戦後の十年間という時代が、戦場の現場を知らない語り手で...
どうして今頃川端を?自分でそう思いながら読み返しました。三度目の「山の音」。掛け値なし、傑作です。 二十代に読んだ時には、「卑猥」だと感じました。四十代の終わりに読んだ時には「うまい」と思いました。今回「参りました」。 戦後の十年間という時代が、戦場の現場を知らない語り手である主人公信吾を設定することによって、くっきりとリアルに浮かび上がってくる、いわゆる「戦後文学」として、同時代の大岡昇平や、野間宏、戦場を見て、体験してきた作品に対峙している。みごとなものだと思いました。
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【読書メモ】長編『山の音』、男性による老人文学としか言い表せない。ぼんやりとした不快さがつきまとった。自分にはまだ早い作品なのだろう。
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夫婦というのものは、おたがいの悪行を果てしなく吸いこんでしまう、不気味な沼のようである。…深いなぁ。
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読んでないです。全く。 ただ短編の「化粧」が大好きです。 映像化したいぐらい好きです。 恐ろく美しい。 女子なは、みんな分かるんじゃないかしら?
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