アキハバラ発〈00年代〉への問い の商品レビュー
考えるきっかけになった文章がいくつかあった。色々な視点に気付けたのは、色々な分野の人たちが自由に意見を言ってこの事件を深めているからだと思う。興味深い。ただ、なんか・・・うーん、どちらにしても「議論だけ」なのかな、でも議論がないと新しいことって始まらないかもしれないし・・・でも・...
考えるきっかけになった文章がいくつかあった。色々な視点に気付けたのは、色々な分野の人たちが自由に意見を言ってこの事件を深めているからだと思う。興味深い。ただ、なんか・・・うーん、どちらにしても「議論だけ」なのかな、でも議論がないと新しいことって始まらないかもしれないし・・・でも・・・と若干もやもや。
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「誰でもよかった」=「誰かであってはならなかった」 誰かは自分であり得るし自分であってはいけない。 「失敗」の理由付けや如何に。
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ひとつの無差別殺人や通り魔事件が、その時代のある種の合わせ鏡として現れるのではないだろうか。 あるいは、その事件の経緯をマスメディアだけの情報で信頼すると、感情論的な、事件の繊細さを欠いた解釈になってしまいがちである。 それを克服するためには、様々な視座をその事件に照射し綜合しな...
ひとつの無差別殺人や通り魔事件が、その時代のある種の合わせ鏡として現れるのではないだろうか。 あるいは、その事件の経緯をマスメディアだけの情報で信頼すると、感情論的な、事件の繊細さを欠いた解釈になってしまいがちである。 それを克服するためには、様々な視座をその事件に照射し綜合しなければならない。 この本では、大澤真幸が信頼できる各学問分野の気鋭を揃えて、秋葉原事件を多角的に分析している。 この本で見えてくるゴールや救済は無い。それぞれの視座を、さらに問題を提供してくれているだけだ。 秋葉原事件に関して、それをどのように捉え、さらにあと2年で終焉を迎える00年代を読む人々が個々に再考し 今時分の社会について根底から見直さなければならない。
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「否定的な自己イメージに固着してしまった個人は、否定的な自己イメージのリアリティを再確認することによってしか自己愛を維持できなくなってしまった。」 巷にあふれる啓発本では、まず自分を肯定することから始める。だから自分に否定的な人には全く効果が無い。そして自分に肯定的な人はそん...
「否定的な自己イメージに固着してしまった個人は、否定的な自己イメージのリアリティを再確認することによってしか自己愛を維持できなくなってしまった。」 巷にあふれる啓発本では、まず自分を肯定することから始める。だから自分に否定的な人には全く効果が無い。そして自分に肯定的な人はそんな本に見向きもしない。にもかかわらず、本がソコソコ売れるのはネガ人間のポジ人間への変身願望がそうさせるのだ。 28歳で派遣社員も経験していた僕は、仮に彼と同じ境遇になっても、同じことはしないだろう。その意味では彼を理解しないし、同調もしない。でも、心のどこかで同じ感覚を持っていて、他人事には思えないところがある。だからどうしたと言われれば、たぶんどうもしないわけで、社会主義が生まれない限り、社会は当分かわらない。ただ、彼の精神や感情を部分的にであれ共有している僕は、不安をおぼえるのだ。
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