魂と罪責 の商品レビュー
安藤礼二が、はるか折口信夫を仰いでその意味を問うた、批評家でもあり創作者でもあるという存在は、考えてみるとそう多くはいないのであって、たとえば、いま思いつくままに挙げてみても、紀田順一郎に笠井潔、船戸与一に松浦寿輝、荒巻義雄に・・・・・、ほら後が続かない。まだまだ、もう少しはいる...
安藤礼二が、はるか折口信夫を仰いでその意味を問うた、批評家でもあり創作者でもあるという存在は、考えてみるとそう多くはいないのであって、たとえば、いま思いつくままに挙げてみても、紀田順一郎に笠井潔、船戸与一に松浦寿輝、荒巻義雄に・・・・・、ほら後が続かない。まだまだ、もう少しはいるはずですけれど。 あっ、肝心の本書の著者・野崎六助を忘れるところでした。 この際、大江健三郎や高橋源一郎など、エッセイしか書いていない作家は除外しました。 それにしても、野崎六助ほど不幸な読まれ方をしている小説家は他にいないのではないかしらと、思わず可哀想になってきたりします。 それは、他でもなく、ひょっとして、ひとえに評論家として出発したことが災いしているのかもしれません。 初期の、『幻視するバリケード』(1984年刊行、のちに1997年『復員文学論』と改題して再刊)や、日本推理作家協会賞を得た『北米探偵小説論』(1991年刊行、その後1998年に増補改訂版を再刊)で批評家として鮮烈なデビューを果たした彼は、その後も都合12、3冊の評論本を出しています。 すでにその数以上の小説本を出しているにもかかわらず、世間的には、というか、読む側にとっては、評論家の余技みたいな感じ方なのかもしれないということです。 たとえば、ついに直木三十五賞を手にした船戸与一のように、『硬派と宿命・・はぐれ狼たちの伝説』(1975年)や『叛アメリカ史』(1979年)のような優れた評論を書いた過去があるとしても、たった2冊で控えめだし、ましてや豊浦志郎という別名で書いたという涙ぐましい努力(?)をしたのに比べてみると、あまりにも規格外の活躍ぶりが過ぎた感がします。 笠井潔のように、評論の方面ではかなりの難解路線を貫いているにもかかわらず、小説で相当以上の読まれ方をしているということは、やっぱりミーハーでも読めるヒロイック・ファンタジーっぽいものも書いたりしているからじゃないかと想像するのですが。 私にも、どちらかというと批評家としての彼の方が印象深く、たとえば『北米・・・』は、私自身の今まで読んできた探偵小説を総括する作業ともなり、結局3度も読むほど気に入った本となりました。 とりわけ、北米や探偵小説からも脱線して、野坂参三スパイ説などに突入するセンスに大いに惹かれてしまいました。
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