時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇 の商品レビュー
解説:松田道雄 林中書◆秋風記・綱島梁川氏を弔う◆卓上一枝◆弓町より-食うべき詩◆きれぎれに心に浮んだ感じと回想◆巻煙草◆性急な思想◆硝子窓◆時代閉塞の現状◆所謂今度の事◆暗い穴の中へ◆A LETTER FROM PRISON
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「いっさいの空想を峻拒して、そこに残るただ一つの真実――「必要」! これじつに我々が未来に向って求むべきいっさいである」 石川啄木による社会批判。当時の状況について知識がないため主張の当否はわからないが、全体を通してとにかく熱い。こういう熱さってのは、現代にはなかなかない。
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p88,96,106 食うべき詩 謙遜することを知らないのみならず、事実を事実として承認することをむしろ恥辱とする風がある。 そういう自信と、そういう矜持! 弱者!自らの弱者たることを容認することを怖れて、一切の事実と道理とを拒否する自堕落な弱者! 私は、希くはそういう弱者にな...
p88,96,106 食うべき詩 謙遜することを知らないのみならず、事実を事実として承認することをむしろ恥辱とする風がある。 そういう自信と、そういう矜持! 弱者!自らの弱者たることを容認することを怖れて、一切の事実と道理とを拒否する自堕落な弱者! 私は、希くはそういう弱者になりたくない。
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幸徳秋水に関連する著書として選んだ石川啄木の本書。 幸徳秋水にかかわるものは、 「時代閉塞の現状」 「所謂今度の事」 「A letter from prison」 まさに時代閉塞の折に、難解な言い回しではあるが、 当時の政府に立ち向かった文体で書かれているこれらの書を読んでい...
幸徳秋水に関連する著書として選んだ石川啄木の本書。 幸徳秋水にかかわるものは、 「時代閉塞の現状」 「所謂今度の事」 「A letter from prison」 まさに時代閉塞の折に、難解な言い回しではあるが、 当時の政府に立ち向かった文体で書かれているこれらの書を読んでいて、 学校で習った啄木とはまた違う一面を見いだすことができた。 むしろ学校では、こういった一面を学びたかったし、 私がもし啄木について教えるなら、この一面も必ず紹介したいなと。 「自己発展の意志」は「自他融合の意志」によって裏打ちされねばならない。 このフレーズが大変印象に残った。
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『石川くん』をぷぷぷと笑いながら読んで、ずいぶん印象の変わった石川啄木。啄木を断罪(?)した本が他にもあるらしいので、読んでみるかと思いながら、昨日、図書館の前のチラシ置き場からもって帰ったある広報誌に、啄木の名を発見。そういえば、これもユウメイなやつだった。 地図の上 朝...
『石川くん』をぷぷぷと笑いながら読んで、ずいぶん印象の変わった石川啄木。啄木を断罪(?)した本が他にもあるらしいので、読んでみるかと思いながら、昨日、図書館の前のチラシ置き場からもって帰ったある広報誌に、啄木の名を発見。そういえば、これもユウメイなやつだった。 地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ秋風を聴く 100年前の9月に、25歳の啄木がよんだ歌である。 そしてこの歌を見て、そういえば『時代閉塞の現状』っていうのが岩波文庫の緑であったよな~昔買って読んだよな~と思い出して、階下の本屋(一応岩波文庫もある)へ寄ってみたが、さすがに見当たらず。在庫検索をしてもらうと、啄木本は新潮文庫の『一握の砂・悲しき玩具』のみがあって、それをちょっと立ち読みする。巻末の「年譜」など見ていると、やはり『石川くん』とはだいぶ印象が違うなあと思う。 帰ってきて、もしかして手放さずにとってたかもと本棚をのぞいてみたが、岩波文庫の緑は、魯庵の『社会百面相』ぐらいしか見つからなかった。暑いのであまりパソコンをつける気にならないが、そう長いものではないので、青空文庫で「時代閉塞の現状」を久しぶりに読む。これもやはり100年前に書かれたものである。この年は、大逆罪に問われた幸徳事件があり(翌年12名が処刑された)、韓国併合があった。 「時代閉塞の現状」として書かれていることは、どことなく「今」と似てるような気もするし、『石川くん』を読んだあとでこんなんを読むと、石川くん、口うまいなア、まあ言うのはタダやしな、という気もする。 青空文庫では(というか底本がそうなのだろう)現代かなづかいになっている。 ▼今日我々のうち誰でもまず心を鎮めて、かの強権と我々自身との関係を考えてみるならば、かならずそこに予想外に大きい疎隔(不和ではない)の横たわっていることを発見して驚くに違いない。じつにかの日本のすべての女子が、明治新社会の形成をまったく男子の手に委ねた結果として、過去四十年の間一に男子の奴隷として規定、訓練され(法規の上にも、教育の上にも、はたまた実際の家庭の上にも)、しかもそれに満足――すくなくともそれに抗弁する理由を知らずにいるごとく、我々青年もまた同じ理由によって、すべて国家についての問題においては(それが今日の問題であろうと、我々自身の時代たる明日の問題であろうと)、まったく父兄の手に一任しているのである。これ我々自身の希望、もしくは便宜によるか、父兄の希望、便宜によるか、あるいはまた両者のともに意識せざる他の原因によるかはべつとして、ともかくも以上の状態は事実である。国家ちょう問題が我々の脳裡に入ってくるのは、ただそれが我々の個人的利害に関係する時だけである。そうしてそれが過ぎてしまえば、ふたたび他人同志になるのである。(一) ▼かくのごとき時代閉塞の現状において、我々のうち最も急進的な人たちが、いかなる方面にその「自己」を主張しているかはすでに読者の知るごとくである。じつに彼らは、抑えても抑えても抑えきれぬ自己その者の圧迫に堪えかねて、彼らの入れられている箱の最も板の薄い処、もしくは空隙(現代社会組織の欠陥)に向ってまったく盲目的に突進している。今日の小説や詩や歌のほとんどすべてが女郎買、淫売買、ないし野合、姦通の記録であるのはけっして偶然ではない。しかも我々の父兄にはこれを攻撃する権利はないのである。なぜなれば、すべてこれらは国法によって公認、もしくはなかば公認されているところではないか。(四) 25歳の頃に、自分がどんなこと言うて、どんなことしてたっけな~と思ったりしながら読む。私が25になる年の春、祖母が急死した。松本サリン事件があったのもこの年だった。そして、今年のように暑い暑い夏だった。
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