私のひめゆり戦記 の商品レビュー
1988年、就職した年に沖縄でのイベントに参加して、ガラビ壕(と記憶)、嘉手納基地の見える高台を見学し、記念講演では会場となったムーンビーチホテルのビーチにて、本書の作者「宮良(旧姓守下)ルリ」さんの講演を聴講した。1982年作の今井正監督の映画「ひめゆりの塔(栗原小巻、古手川...
1988年、就職した年に沖縄でのイベントに参加して、ガラビ壕(と記憶)、嘉手納基地の見える高台を見学し、記念講演では会場となったムーンビーチホテルのビーチにて、本書の作者「宮良(旧姓守下)ルリ」さんの講演を聴講した。1982年作の今井正監督の映画「ひめゆりの塔(栗原小巻、古手川祐子他)」の作品を鑑賞していたこともあり、記憶に強く残った。 将来を夢見た学徒達が戦争に巻き込まれ、女性は看護要員として傷病兵の世話、男性は鉄血勤皇隊や護郷隊として斥候や通信隊として徴用され犠牲になっていく。日本軍は、兵力の不足を沖縄県民に押しつけ、行政官や教員を通して半ば強制的に軍に併合し、そして軍の都合で犠牲になった学徒たち。追い詰められた生徒や教員、近隣住民は第3外科壕・ひめゆりの塔への爆弾投下の断末魔で奇跡的に生還した生徒5名の内の1人の「宮良ルリ」さん。戦後は教諭として、またひめゆりの平和記念資料館証言員として、戦争の愚かさ、沖縄戦の悲哀を伝え続けた著者「宮良ルリ(2021年8月12日逝去、享年94歳)」さんのご冥福をお祈りしたい。 あとがきに寄せて 日本国内でも、防衛費は増大し、いつか来た道をすすみつつあるような気がするのです。 戦争は、ある日突然やってくるものではありません。気がついたら戦争への道に巻き込まれていたことになるのです。 心に刻みたい言葉だと思います。
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著者は,ひめゆりで生き残った一人。 友だちや先生,看護婦やお医者さんの名前やそのときの状況が,とても詳しく描かれています。私が,過去のことを書こうと思っても,こんなに詳しくは語れません。 それは,おそらく,その体験が,想像を絶するものだったことによるのでしょう。もしかしたら...
著者は,ひめゆりで生き残った一人。 友だちや先生,看護婦やお医者さんの名前やそのときの状況が,とても詳しく描かれています。私が,過去のことを書こうと思っても,こんなに詳しくは語れません。 それは,おそらく,その体験が,想像を絶するものだったことによるのでしょう。もしかしたら,日記なども書いていたのかも…とも思います。 こんな状況をまねいてしまった当時の戦争にたいして,「当時は,当時のことで,判断すべき」「あれは,追い込まれて,日本としては仕方のない戦争だったんだ」なんてことを平気で言う人たちがいまだにいることは,非常に残念です。
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