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リアルのゆくえ の商品レビュー

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32件のお客様レビュー

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2010/10/27

かみ合わない前提で話すことに意味を探る大塚英志と かみ合わないことの根底に諦めを持って話す東浩紀。 今はコミュニケーションにコストがかかる、というのは実感する。 以前はまだおたくがあらゆるジャンルを網羅できる範囲だったんだよね。 秋葉原の事件が大きく影響を持っていたことに凄く驚い...

かみ合わない前提で話すことに意味を探る大塚英志と かみ合わないことの根底に諦めを持って話す東浩紀。 今はコミュニケーションにコストがかかる、というのは実感する。 以前はまだおたくがあらゆるジャンルを網羅できる範囲だったんだよね。 秋葉原の事件が大きく影響を持っていたことに凄く驚いた。へ~・・・。 http://takoashiattack.blog8.fc2.com/blog-entry-1081.html

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2010/09/13

二人の喧嘩を「オタク第一世代」と「オタク第三世代」の世代差、と捉える向きもあるが、果たしてそうなんだろうか。 ちょうど『集中講義!アメリカ現代思想―リベラリズムの冒険』を読んだあとだったので、大塚英志氏の意見の方に共感できた。 大塚氏の東氏への苛立ちによって延々と議論が長引く...

二人の喧嘩を「オタク第一世代」と「オタク第三世代」の世代差、と捉える向きもあるが、果たしてそうなんだろうか。 ちょうど『集中講義!アメリカ現代思想―リベラリズムの冒険』を読んだあとだったので、大塚英志氏の意見の方に共感できた。 大塚氏の東氏への苛立ちによって延々と議論が長引くのだが、その苛立ちは理解できる。 「若手の旗手」として衝撃的なデビューを飾った東氏だが、もう年齢的には「若手」とは呼べなくない。大塚氏の苛立ちはひとえに、その「失われた時間」に対するものであろう。 30歳(2001年当時)というのは批評家としては若い部類ではあるが、宮崎勤事件が起きたときの大塚氏も30前後である。覚悟を決めようと思えば決められる年齢だとも言える。 に対して、東氏がときおり口にする「人格批判」という虚弱なセリフはいかがなものかと思ってしまった。こういう人ってオタクによくいるよね、と。一緒に仕事をしたくないタイプの発言である。 もっと言えば、この感じ、このセリフがゼロ年代の日本のどうしようもなさを象徴してる気もするのである。時間はいっぱいあったのに変える努力をしなかった、だから変わらなかったよね、という気が、今から読み返すとしてしまう。 しかし、2008年の「加藤の乱」を転換点として東氏にも変化が見られ、希望の持てるラストとなっている。これで最近の東氏の仕事を読めるなあ、と胸をなでおろした。

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2010/08/19

01.02年の対談は今読んでもしょうがないかなーと思い飛ばして、07,08年のやつだけ読む。07年の方は内容の難しさと、かみ合わない両者のイラつきの伝わってくる会話を読まされて非常に退屈。たまに面白いこと言ってるなーと思うことはあったけど。08年のほうはまとまってて普通に読める。...

01.02年の対談は今読んでもしょうがないかなーと思い飛ばして、07,08年のやつだけ読む。07年の方は内容の難しさと、かみ合わない両者のイラつきの伝わってくる会話を読まされて非常に退屈。たまに面白いこと言ってるなーと思うことはあったけど。08年のほうはまとまってて普通に読める。短いけど。 オタクに関する議論は01、02年のほうに集約されてて、ゼロ年代後半の対談は広義の若者論、社会参加論、あと「評論家としての俺」みたいな話になってて、副題とはだいぶズレてます。このタイトル変えた方がいいんじゃないかな

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2010/05/09

予備知識がちょいちょい必要で分からなくなる所もありました。ポストモダン社会の中で多様化していく人々がどう生きていくかを議論していました。途中で議論ではなく口論みたいな方向に進んで大変なことになっています。だから他の新書と比べて分厚い(笑)

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2010/04/07

4月6読了。おたくの第一世代を自認する大塚氏と、第三世代・現代のおたくたちを牽引する存在である東氏の対談。「公的」と「私的」を切り分け、世界中に意見を表明することに「絶望」しているが周囲の人々には語りかけようとし、社会を変えようとはしないがその中のシステムを修正していこう、と主張...

4月6読了。おたくの第一世代を自認する大塚氏と、第三世代・現代のおたくたちを牽引する存在である東氏の対談。「公的」と「私的」を切り分け、世界中に意見を表明することに「絶望」しているが周囲の人々には語りかけようとし、社会を変えようとはしないがその中のシステムを修正していこう、と主張する東氏に大塚氏がひたすら違和感を表明し、食って掛かるという構造。世代的に近いこともあり、東氏の意見はその冷静さからも至極真っ当に響くが、ノブリス・オブリージュ的なものを自ら実践しようとし、かつ東氏にもそれを求める大塚氏の意見も正しいものではあるのだと思う。一向に議論は噛み合わないが、お互いが「噛み合わなさ」「スタンスの違い」を認識した上でやっているのだからある意味プロレスのようなものなのか。何が正で何が悪か、自分が正しいか間違っているのか、相手はどうか。知識を得れば得るほど、発言力が増せば増すほど迷うのだから世の中は難しい。

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2010/04/04

対談の起し本だが、大塚氏と東氏とのやりとりの臨場感が、ものすごい迫力を持って感じられ、引き込まれるように読んだ。 サブタイトルの「おたく/オタクはどう生きるか」の「おたく」と「オタク」は、大塚氏と東氏の暗喩であろうか。 両氏の差異が鮮明に現れるのは、書き手(知識人)として、公...

対談の起し本だが、大塚氏と東氏とのやりとりの臨場感が、ものすごい迫力を持って感じられ、引き込まれるように読んだ。 サブタイトルの「おたく/オタクはどう生きるか」の「おたく」と「オタク」は、大塚氏と東氏の暗喩であろうか。 両氏の差異が鮮明に現れるのは、書き手(知識人)として、公共性というものに対してにどう向き合っているか、という点であり、大塚氏が自身の文章や発言が公共に対して影響を与えることに自覚的である種の責任を追うべきと考えるのに対して、東氏は公共に対する影響は認めつつもそのような責任は追いきれるものではないとする。 公共に対する東氏の考えは自分自身の感覚としても理解できるが、最後のところで明快なことばに翻訳しきれていないようなもどかしさがある。一方大塚氏の公共に対するある種の責任感は、自分の職業柄いつも考えていることであり納得できるのだが、そこから逆に、ひとりの人間が出来ることの無力さみたいなものが照射されて感じられてしまう。 しかしながら、両氏が「リアル」というものに向き合っていることは紛う事無き事実であって、読み手に何かが届くだけの「リアル」がこの本にはある。大塚氏がこの本に付記するつもりであった注釈とあとがきを、校正の最後に削除したのは、この対談のリアルなやりとりをそのまま読者にぶつけたかったのだろう。氏のその意図は、見事に当たっている、と思う。

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2010/01/11

2人が繰り返す禅問答は両者の過去の著書の吐露にすぎないが、当時のポジションを再確認する意味では重要か。 そして大塚の苛立ちが引き起こす堂々巡りは退屈だけど、噛み合わない議論はスリリング。

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2009/10/07

東浩紀が大塚英志に絡まれ続ける対談集。もの凄く息苦しくなるのは,過去に大塚英志にダメ出しされた経験故だろうか(爆)東浩紀の忍耐力には感服します。いたたまれない気分を殺して読み進めると,第3章あたりでモダンを信じる大塚英志とポストモダンを堅持する東浩紀の対比がぱっと頭に浮かんで来て...

東浩紀が大塚英志に絡まれ続ける対談集。もの凄く息苦しくなるのは,過去に大塚英志にダメ出しされた経験故だろうか(爆)東浩紀の忍耐力には感服します。いたたまれない気分を殺して読み進めると,第3章あたりでモダンを信じる大塚英志とポストモダンを堅持する東浩紀の対比がぱっと頭に浮かんで来て,ああ,対話って重要だねと思った。どっちの言うことも分かると思ってしまう自分はどこに居るのか?ポストモダンとモダンの対話からポスト・ポストモダンを考えさせられる。

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2011/08/31

為政が見えにくくシステム化していく社会にあってなおも為政する側の主体の存在を疑い、また、社会に関わるための「主体のあるべき」を議論しようという大塚氏と、まずは主体を切り離した中から見えてくる世界像を考察しようという東氏の、立脚点の差異に最初から最後まで互いが歩み寄らず、話が噛み合...

為政が見えにくくシステム化していく社会にあってなおも為政する側の主体の存在を疑い、また、社会に関わるための「主体のあるべき」を議論しようという大塚氏と、まずは主体を切り離した中から見えてくる世界像を考察しようという東氏の、立脚点の差異に最初から最後まで互いが歩み寄らず、話が噛み合わない。が、現在の社会の状況についての洞察には両者ともに肯けるところが多く、両者ともに基本的に相手の考察を認め合っているので、「その噛み合わないところはいいから話を進めてくれ」と思うことはあっても、対談そのものが破綻しているというわけではない。どちらのとらえ方をするのかで、どちらがどういうものが見えてきて、どういうものが見えにくくなるのか、そんなことを考えてみる刺激には満ちている。それぞれの著作を何も知らずいきなりこれを読んでも、何を議論しているかよくわからないかも。

Posted byブクログ

2009/10/04

文系の時代先端の人たちの議論。わかりづらいかな 時代に遅れないようこのあたりもフォローしていこう。

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