怠ける権利 の商品レビュー
かなり前から気になっていたため読了。 「売られた食欲」に関してはどこかで見たような(おそらくTwitter)内容だったこともあり、中身としての新たな発見はあまりなかったのだが考え方を変えるきっかけにはなったのでそれは良かった。 どこかで見た時は「人の欲望というものは本来際限を知ら...
かなり前から気になっていたため読了。 「売られた食欲」に関してはどこかで見たような(おそらくTwitter)内容だったこともあり、中身としての新たな発見はあまりなかったのだが考え方を変えるきっかけにはなったのでそれは良かった。 どこかで見た時は「人の欲望というものは本来際限を知らぬものだからそれを安易に天秤ではかろうとすると痛い目にあう」という教訓程度に認識していたのだが、この本の中身を見たあとで読んでみると資本家が欲しかったのは欲望を満たすものだけではなく、それを満たす上で「弊害となるものと対峙するのを怠ける方法」だったのだと気付きこれは私たちの生活においても重要なことではないかと思った。
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流し読み。 題と装丁がいい。 他のマルクス主義者たちが、怠ける権利をあまり提唱してこなかったのは興味深い。
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労働を神聖視する連中が引きずりおろされるようになってきた今だからこそ読むべき本。 タイトルが非常に気に入っている 「怠ける権利」「資本教」「売られた食欲」の3篇。 「資本教」はキリスト教の教義や問答をもじった皮肉で、「売られた食欲」は寓話かな?
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偏頭痛が酷くて自室から動けず、暇潰しに書棚から久々に探り出して読破。 表題作「怠ける権利」の他、宗教としてパロディ化した「資本教」、小説「売られた貪欲」を所収。無論、どれも資本主義に対する痛烈な批判であるが、134年前の風刺と現代がほぼ変わらぬ辺りが、いささか遣る瀬ない。 ...
偏頭痛が酷くて自室から動けず、暇潰しに書棚から久々に探り出して読破。 表題作「怠ける権利」の他、宗教としてパロディ化した「資本教」、小説「売られた貪欲」を所収。無論、どれも資本主義に対する痛烈な批判であるが、134年前の風刺と現代がほぼ変わらぬ辺りが、いささか遣る瀬ない。 著者のラファルグと言えば、『資本論』を記したカール・マルクスの娘婿であり、晩年は妻と共に70歳目前にして自死を選びし男。彼が「近い将来」「勝利の確信」を抱いた「共産主義と第二インターナショナル」は、果たして到来したのか否か…。
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過剰労働のために生産物が余る。労働者は怠けるべきだ。 生産力を高めるには労働時間を短縮し祭日を増やすこと。 アテナイで公民とは、防衛と行政管理を行う貴族のこと。そのために全時間の自由をもたねばならぬので、一切の労働を奴隷に担わせた。スパルタでは、女でも紡ぎも織りもしてはならなか...
過剰労働のために生産物が余る。労働者は怠けるべきだ。 生産力を高めるには労働時間を短縮し祭日を増やすこと。 アテナイで公民とは、防衛と行政管理を行う貴族のこと。そのために全時間の自由をもたねばならぬので、一切の労働を奴隷に担わせた。スパルタでは、女でも紡ぎも織りもしてはならなかった。ローマ人は国庫のまかないで暮らした。 キケロ「金のために労働をくれてやるものはだれでも自分自身を売って奴隷の位置に身を落とす」 古代は戦争が常態であった。自由人はそのための備えが必要。奴隷が生産をしなければ、自由人はその務めを果たせなかった。 資本教という教義。資本は商品が売れる値段で評価を定める。職業の中で、性の商売以上に金になる肉体労働や知識労働はない。 売られた食欲。他人を利用することが進んでも、懐妊能力と消化能力だけは、商品化できない。
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// memo 機械の生産性が上がったら、その分人間の余暇が増えたっていいわけだ。それは機械の成果をどのように人々に分けるか、という問題に尽きる。 実はこれを言っていたのが、ある意味でマルクスなんかで、生産手段(つまり機械)を労働者がちゃんと握って生産しようぜ、というマルクス主...
// memo 機械の生産性が上がったら、その分人間の余暇が増えたっていいわけだ。それは機械の成果をどのように人々に分けるか、という問題に尽きる。 実はこれを言っていたのが、ある意味でマルクスなんかで、生産手段(つまり機械)を労働者がちゃんと握って生産しようぜ、というマルクス主義の教えはつまり機械の力で得られる価値が労働者にもまわるようにしようぜ、ってことでもある。それを明確に述べたのがポール・ラファルグ『怠ける権利』(平凡社ライブラリー)。 ラファルグは実はマルクスの娘婿で、フランスに社会主義を広めるのに尽力した人だ。機械が女工百人分の仕事をするんなら、女工はそれだけ休暇がもらえればいいはずだ。人は一日三時間以上働かなくてもいいはずだ、という本。
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「怠ける権利」は皆が信じる「資本教」の世界でこそ威力を発揮するものであって、皆が怠けだしたら権利の行使ができなくなるので意味がない。だから資本家になるか奴隷になるかフリーライダーになるかを各々が選択し、あとは感情のコントロールをするしかないのかと。奴隷を選択してくれる人が多い社会...
「怠ける権利」は皆が信じる「資本教」の世界でこそ威力を発揮するものであって、皆が怠けだしたら権利の行使ができなくなるので意味がない。だから資本家になるか奴隷になるかフリーライダーになるかを各々が選択し、あとは感情のコントロールをするしかないのかと。奴隷を選択してくれる人が多い社会が最も安定的ではある。奴隷が騙され続けて、爆発しない限りにおいてはだけど。 よって世界平和や人類幸福などのユートピアを考えて社会運動して奴隷の爆発を引き起こすよりも、資本家への敵意や嫉妬を持たずに「資本教」の世界に折り合いをつけて、フリーライダーとして如何に生きていくかを考えるほうが懸命に思えるのだが。が、「資本教」の世界がその強欲により自壊した時が厄介かな。その兆候も無きにしも非ずだけど。 「売られた食欲」はよくできた話で、ブラックユーモアがきいてとても面白かった。
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プロレタリアート諸君。金のために働くのは奴隷になるということだ。労働は一日3時間で十分。怠ける権利を主張しよう。 「働かざるもの食うべからず」というフレーズは現代でも当たり前のこととして受け入れられている。著者のラファルグは、その常識を真っ向から否定する。労働は最悪の奴隷的束縛...
プロレタリアート諸君。金のために働くのは奴隷になるということだ。労働は一日3時間で十分。怠ける権利を主張しよう。 「働かざるもの食うべからず」というフレーズは現代でも当たり前のこととして受け入れられている。著者のラファルグは、その常識を真っ向から否定する。労働は最悪の奴隷的束縛だと。 最初は、何を言い出すのか、と思った。 働き口が無くて生活に困っている人からすれば、腹が立つことですらあるだろう。しかし、色々考えてみると、確かに今の社会がおかしいのかも知れないと思うところもある。テクノロジーは着実に発展しているはずなのに、どうして人間は未だにあくせく働いているのだろうか。ましてや、働き過ぎで死んでしまう人が出てくるとは、どういうことだろう。少なくとも僕が夢描いていた21世紀は、こんなものでは無かった。 労働を素晴らしいものとする価値観の裏で、過剰な労働が人を疲弊させ、時には死に追いやっている現実がある。擦り減っていく労働者の陰で、資本家は富を増大させていく。これは、構造として見た場合、違うとは言えないだろう。 仕事が趣味という人もいる。確かに仕事にはおもしろい面があることも間違いない。一方で、生きていくために、仕方なく過酷な(残酷な)労働条件を受け入れてしまう人々もいることを忘れるわけにはいかない。ひたすら労働を美徳とし奨励することは、場合によっては悪魔の所業となり得るのだ。 『怠ける権利』の初版原文が発表されたのは1880年ごろのことだ。この100年以上も前の文章が、今なお過激であり続けることは、反省に値することではないだろうか。いかに実現が難しかろうと、働かなければ生きられない世界より、働かなくても生きられる世界の方が、より望ましいだろう。だとしたら、とっくの昔にそれが理想に掲げられ、労働は人類が克服すべき忌まわしいものである、と考えられていても良かったはずだ。 みんなが怠惰を第一として行動しだしたら、それはそれで困る事も出てくるだろう。しかし、度を越した勤勉さが、時として死者を生むことに問題があることも確かだ。僕たちは労働や資本とうまく付き合ってきたと言えるのか、今一度反省してみる必要があるのではないだろうか。
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「暇と退屈の倫理学」に出てきた人だが、この本だったかなぁ…。 有閑階級って原始未開社会が野蛮状態に移行したときにできた階級だよって話が書いてある、「暇と退屈の倫理学」によれば。
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読んだ人間の立場によって感想が異なること間違いなしの一冊。 人によっては恨み言、人によってはごもっとものように聞こえるのではないかと思います。 欲望の果てしなさとラテン系の人々の気持ちがよくわかる一冊。 よくわからないと思うのなら自分で読んでみてはいかがでしょうか
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