俳句脳 の商品レビュー
俳句とは、言葉と脳のバトルでしょうか。 季語や切れなどのルールに従うと共に、それにも囚われないこと。 「月日」、「蛍狩」、「花冷え」、「遣らずの雨」、「わたくし雨」、「薄紅葉」... 日本には素晴らしい言葉がたくさんあります。
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いきおいではじめていた俳句だけれど、いかんせん勉強不足。 茂木さんと黛さんの会話も楽しいけれど、やはり黛さんの俳句への思いや考えかたに感銘。 また、はじめてみようか。 道端にしゃがみこんで、一瞬の心の動きや、生きるものへの感謝驚きを切り取ってみたいと、 そんな風に思わせる良書。 ...
いきおいではじめていた俳句だけれど、いかんせん勉強不足。 茂木さんと黛さんの会話も楽しいけれど、やはり黛さんの俳句への思いや考えかたに感銘。 また、はじめてみようか。 道端にしゃがみこんで、一瞬の心の動きや、生きるものへの感謝驚きを切り取ってみたいと、 そんな風に思わせる良書。 俳句入門の入門としてもお勧めです。
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俳句というと、古風な日本の文化(文学)というイメージを持っていた。 この対談やそれぞれの考えを読むにつけ、見事にそのイメージが一新された。 なんと豊かな芸術であることか。 制約の中に美を求める日本らしい芸術ではあるが、 現在、世界に広まりつつあるこの俳句という世界は、 生き方その...
俳句というと、古風な日本の文化(文学)というイメージを持っていた。 この対談やそれぞれの考えを読むにつけ、見事にそのイメージが一新された。 なんと豊かな芸術であることか。 制約の中に美を求める日本らしい芸術ではあるが、 現在、世界に広まりつつあるこの俳句という世界は、 生き方そのものなのだ。 つまり、日々の生活の中に見出したものを表現するということは、 芸術に生きるということ。生き方が芸術になるのだ。 会ったことや、話す様子を見たことはあまりないけど、 黛まどかという人からは何か凛としたものを感じる。 それは芸術に生きているからなのだろう。 俳句を通して、日本語の美しさも再発見させられた。
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俳句や短歌、詩などの、空白を補って読む表現形態に興味がわいてきて、手に取った本。 2人がそれぞれ俳句について語り、対談も掲載されている。茂木健一郎が俳句を評価するわけは以下の通り。 説明されていないもの、言語化されていないものを「摑もう」「感じよう」...
俳句や短歌、詩などの、空白を補って読む表現形態に興味がわいてきて、手に取った本。 2人がそれぞれ俳句について語り、対談も掲載されている。茂木健一郎が俳句を評価するわけは以下の通り。 説明されていないもの、言語化されていないものを「摑もう」「感じよう」とする意思は、内なる感覚を総動員して臨む能動的な行為となるので、自分の全体性が引き出されやすい。(略)要するにその句に自分なりの感覚を持つに至るのだが、その感覚こそが自分自身のクオリアである……とのこと。 また、『草枕』の「こんな時にどうすれば私的な立脚地に帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に据え付けて、その感じから一歩退いて有り体に落ち着いて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである」という箇所をひいて、これを漱石による俳句脳の説明だと位置づけている。 対談では、一句が出来る際、苦しんだ時ほど最高のドパーミンが出ると解説する。 苦しむことが出来るのも一つの才能です。天才とは努力の仕方を知っている人です。努力は苦しいものですから、つまり天才とは苦しみ方を知っている人なんですよ……という部分が印象に残った。 まどかさんの俳句に対する熱い思いもよく伝わってきた。
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茂木健一郎と俳人の黛まどかさんとのコラボ本。対談もあり。俳句とは、五・七・五の中に言葉を詰め込んで、読み手に季節を含んだ味わいある情景を浮き上がらせる芸術なのだなと思った。俳句を通して、詠み手や読み手は日本古来の季節の移り変わりに対する感性を磨いていくことができるらしい。おもしろ...
茂木健一郎と俳人の黛まどかさんとのコラボ本。対談もあり。俳句とは、五・七・五の中に言葉を詰め込んで、読み手に季節を含んだ味わいある情景を浮き上がらせる芸術なのだなと思った。俳句を通して、詠み手や読み手は日本古来の季節の移り変わりに対する感性を磨いていくことができるらしい。おもしろかった。
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