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兵と農の分離 の商品レビュー

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2014/12/11

山あいの土地を開き、土地に根ざして生きる。このもっとも基本的な暮らしの舞台を離れ、兵として戦場に向かい、武士として名声をあげることを夢見る男子たち。甲州の武田家に仕えたい、武士になりたいと願う男子が家をでて、武士団に属していく。他方、先祖の開発した相伝の地と家を守るため、遠征を拒...

山あいの土地を開き、土地に根ざして生きる。このもっとも基本的な暮らしの舞台を離れ、兵として戦場に向かい、武士として名声をあげることを夢見る男子たち。甲州の武田家に仕えたい、武士になりたいと願う男子が家をでて、武士団に属していく。他方、先祖の開発した相伝の地と家を守るため、遠征を拒否して農を選択する人びともいる。兵と農の分離は、16世紀の戦乱の世から、17世紀後期にいたる、長い社会変動の過程である。その変動の只中で、人びとはどのような選択を迫られ、またみずからの道を決めるのか。この本では、信濃の山間の村々で繰り広げられた兵と農の分離の様相を詳述することで、社会変動の一端を明らかにしていく。(2008年刊) ・信濃の武将、波合備前とは誰か ・天正から空白の五〇年 ・百姓となった原家 ・兵と農の分離 ・主家と農の分離 ・主家と被官・門 ・「武士」への憧れ 本書は、戦国時代から江戸時代にいたる時期に進行した「兵農分離」と呼ばれる社会の変化を解き明かすことが目的であるという。兵農分離は「武士が在地を離れて城下町に集住すること」あるいは「武士身分と百姓身分が分けられること」と説明されるというp3。 著者は、信濃の武将、波合備前(武田家の旗本、足軽50人)の足跡をたどることにより、兵と農がどのように生み出されていったのかを具体的に明らかにしようとしているが、同じ由緒を持ちながら、武士となった家と百姓となった家があるのは面白い。 また、遠国に遠征することを嫌い「農」の道を選んだ家もあるという(坂部 熊谷家)。この家は、開発領主であり、こうした開発領主が下伊那地域には各地に見られ、これを「熊谷家伝記」では、「郷主」と呼んでいるというp53。従者とともに開発を行い、みずからの開発した地域(分内)に対する領域観念をもち、住民を支配するが、軍役をつとめることを嫌ったため、所領の一部を召し上げられることとなったという。 開発領主は、被官から奉公(年貢や労務の提供)を受ける。これは、太閤検地後も変わらなかったが、被官が力をつけるにつけ、争論の元となり、江戸幕府の裁定を受けることになるp56。 特に馴染みのある地域の史料を元としており、大変興味深く面白いが、結局、兵農分離とは何かはよくわからなかった。例えば、兵農分離の定義である「武士が在地を離れて城下町に集住すること」について、江戸期には困窮から在郷に居住する例(萩藩)もある。「武士身分と百姓身分が分けられること」については、実態として、百姓から武士になることも可能であった。足軽、武家奉公人の供給源は農村であったし、大名行列は渡り者が支えていた。こういった事実は、果たしてどの様に位置づけられるのだろうか。 新たな疑問が湧いてきたが、江戸時代の農村を考える上で、面白い本でありオススメである。

Posted byブクログ