映画の瞬き の商品レビュー
瞬き=カット 原作の初版の発売が1995年で約30年経っている。冒頭にあるように今まではアナログだったが今後はデジタル化していくだろうと作者は考えている。その結果新装版ではデジタル技術の章を大幅に加筆している。 アナログからデジタルに代わっても、編集にとっての大切なものは同じ...
瞬き=カット 原作の初版の発売が1995年で約30年経っている。冒頭にあるように今まではアナログだったが今後はデジタル化していくだろうと作者は考えている。その結果新装版ではデジタル技術の章を大幅に加筆している。 アナログからデジタルに代わっても、編集にとっての大切なものは同じ。 観客と同じ立場で映像を見て、そのカットで観客に何を見せるのか、何を伝えるのかということ。 そのためのカットを選ぶための基準を 1. その瞬間の感情に忠実であること 51% 2. ストーリーを推し進めていること 23% 3. リズム的に面白みのある「ここぞ」という瞬間にカットされていること 10% 4. 「視線」を意識していること 7% 5. 「平面性」を尊重していること 5% 6. 三次元における継続性(人物の位置関係など)を尊重していること 4% だとしている。 このとき上位を捨てて下位を優先してはいけない。上位があるなら上位を優先しなければならないとしている。 例えば、感情かストーリーかだったら感情を選ぶこと。 上位をきちんと満たしていると下位の部分で欠陥があっても気づかない(気づかれにくい)とのこと。
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2000年代ギリギリ手前。映画編集がアナログからデジタルに移行する真っ只中で最前線にいたウォルターマーチの著書。 映画と編集好きにはたまらないと思う
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内容もさることながら、ウォルター・マーチの人柄が文章からにじみ出て、楽しく読むことができました。 編集のプロセスが、人間の瞬きによる思考のジャンプと似ている話と、デジタルが到来した時の予測の話はとてもためになりました。 映像編集を仕事としている身としては、ここに書かれている予測より、より急激な変化が起きつつある状況だと思います。
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理由がうまく説明できないけれど引き込まれる映画、好きだと感じる映画は、映画のリズムと自分の思考のリズムが一致しているのだろう。そうしたリズムを作り出しているのは、映画編集の「カット」である。これからはカットを意識して映画を見たいと思った。 また、後半の、映画のフィルムからデジタル...
理由がうまく説明できないけれど引き込まれる映画、好きだと感じる映画は、映画のリズムと自分の思考のリズムが一致しているのだろう。そうしたリズムを作り出しているのは、映画編集の「カット」である。これからはカットを意識して映画を見たいと思った。 また、後半の、映画のフィルムからデジタルへの変遷を、絵画におけるフラスコ画から油絵に喩えた話も興味深かった。しかし如何に技術が革新しようとも映画の本質は変わらない。その本質についてズバリ明快に書かれた良書だった。
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映画編集について著者の実体験をもとにした素晴らしい考察。皮肉にも「デジタル」についての記載だけが冗長で古くなっているが、それ以外の章はとてもエレガントで、映像以外の編集にも通じる本質をついていると感じます。
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「映画は思考に似ている。思考にもっとも近い芸術が映画である。」人間のまばたきと、映画のカットを関連づけて考えた事がなかったので目から鱗だった。映画という不思議なメディアの魅力に気付かされた。 それからアナログ映画/デジタル映画の違いについて日頃まったく意識してなかったことを痛感し...
「映画は思考に似ている。思考にもっとも近い芸術が映画である。」人間のまばたきと、映画のカットを関連づけて考えた事がなかったので目から鱗だった。映画という不思議なメディアの魅力に気付かされた。 それからアナログ映画/デジタル映画の違いについて日頃まったく意識してなかったことを痛感した。いまやデジタルが当たり前だけど、昔はフィルムを手作業で編集していた…編集者とは、職人業だったのだな。フィルムの場合は、辿り着きたいカットを探す為に全体を巻き戻したり早送りする作業が必要になるため、必然的に他のシーンもざーっと観ることになる。好きな所に一気にワープできるデジタル編集とは全く違うものが出来上がる…そりゃそうだよなぁ。 本の後半ではデジタルと映画の関係について書かれていた。安価なカメラや編集ソフトが普及し、誰でも作れる時代になったが、だからといって素晴らしい作品を作れるとは限らず、むしろ「たくさんのコックが寄ってたかって作ったスープ」(本書より)になる可能性をはらんでいる。というのはその通りだと思う。映画監督や編集者は、”本質的に”映画とは何なのかを意識しながら、作品を作らなくちゃいけない時代なのだと思う。
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デジタル化についての冷静で正確な見通しはすごい。映像編集という仕事に誇りと愛情を持っていることが感じられた。 人の瞬きと思考の関係や、「観客」になることが編集にとって大切であるなど、独自の編集論は興味深かった。 語り口調も丁寧で読みやすい。 無駄だと思える作業が創造に大きく...
デジタル化についての冷静で正確な見通しはすごい。映像編集という仕事に誇りと愛情を持っていることが感じられた。 人の瞬きと思考の関係や、「観客」になることが編集にとって大切であるなど、独自の編集論は興味深かった。 語り口調も丁寧で読みやすい。 無駄だと思える作業が創造に大きく関わっているということですね。
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F・コッポラの映画等の編集を手掛けた著者が語る編集術。前半は、長年の映画編集に携わってきた経験からきた合理的な方法論を語り、後半はデジタル化の未来への展望を語る。しかも、技術的な事に終始する文ではなく、文学的教養に裏打ちされた文が魅力的。
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【地獄の黙示録】、【イングリッシュ・ペイシェント】など、ハリウッドで長年編集に携わってきたウォルター・マーチが、編集とは何か、カットとは何かについて、編集環境の変化を交えて論じた一冊。二部構成で、主に第一章は自身の編集理念、第二章は編集環境の変化について述べている。 第一章の編集理念についてはこの本の前に読んだ【映画もまた編集である】(マイケル・オーチェンダ著)に通じるところがある。視覚的に連続した時間を生きている私たちが、なぜ時間も空間も非連続的な映画を違和感なく受け入れることができるのか。この問題に端を発して、膨大な映像の中から構成し、組み合わせ、違和感のない連続した作品に仕上げるまでのクリエイティブな作業の詳細が描かれている。何気ないショットが連続した映像の中においては重要な意味を持つ、というように、監督ですら気づかない素材の潜在的パワーを探り当てるマーチの作業は非常にエキサイティングだ。 記述は次第に「カットとは何か」という問題に及び、マーチは日常生活の瞬きが、映画におけるカットと同じ働きをしているのではないかと考察する。日常生活における瞬きの瞬間は、ひとつの思考の分断で、次の思考へ移行するための身体的反応として機能していて、映画のカットも「ひとつのショットがひとつの思考に相当し、それを分離させて区別させるための「カット」が瞬きに相当する」(84ページ)。映画は人間の思考に最も近い芸術だというマーチの主張はとても納得させられる。 一方、第二章はがらりと雰囲気を変えて、フィルムからデジタルへの移行を論点にしている。この本自体が初版からわずか6年で加筆を加えて重版になっていることからも分かるように、映画界におけるデジタルの役割は急速に変化を遂げている。こと編集という作業においては、それまで長時間・大人数で行っていたフィルム編集がデジタルによって一気に効率化した。 マーチ自身は長らくフィルム編集を行ってきたため、その長所も短所も理解しているが、やはりデジタル化の波は避けられないだろうと述べている。本書の一番のハイライトはマーチがデジタル化の結果、映画はどこへ行き着くかという自身の考えを述べた最後の部分だろう。映画の製作手段は大きく変わるだろうと述べる一方で、 「100年後にも映画は私たちと共にあるだろう」(189ページ) と語るマーチの深い映画愛に胸を打つものがある。 映画に携わる者として、今後どのように映画を観ていくべきか、そして映画産業全体の行く末について考えずにはいられない。
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