DSM-V研究行動計画 の商品レビュー
・医学の他の分野では、疾病の分類は必ず類型学である。これには、人間精神の働きの基本的特性であって、日常言語の名詞の中に具現している、対象をカテゴリー的に認識するということによる部分もある(馬といい、椅子といい、惑星という)。また、伝統的に疾患とは大抵が個々に独立した実体的単位画で...
・医学の他の分野では、疾病の分類は必ず類型学である。これには、人間精神の働きの基本的特性であって、日常言語の名詞の中に具現している、対象をカテゴリー的に認識するということによる部分もある(馬といい、椅子といい、惑星という)。また、伝統的に疾患とは大抵が個々に独立した実体的単位画であるという、いわれのない仮定もある。過去の精神科医の大多数は、精神障碍もまた、個々別々の実体であって、他の障碍よび正常と区別されるものであり、この区別は明確な病因の証明か、さもなくば症状の認識可能で他と区別しうる明確な内容の組み合わせによってなされると思い込んでいた。実際にも、少数の疾患においては、そのような証明が得られた。しかし、過去20年間に、疾患実体仮説を疑問視する向きは増大する一方であって、それは、大うつ病、不安障碍群、統合失調症、双極性障碍のような代表的・原型的な精神障害の相互がまったく漸次的に移行し、自然境界線も空白に近い中間帯も認められず、正常との間も同様であるらしいという証拠が増加してきたからである。 →新しいパラダイム前夜の特徴。わくわくする。 ・たとえば、16世紀スイスの医師パラケルズスは、自分の憶測にもとづく病因にしたがって精神障碍を分類し、vesania(毒物が原因と考えた障碍)、lunacy(月の満ち欠けに影響されると思った周期的障碍)、insanity(おそらく遺伝因子によって起こるであろう疾患)とした。このような分類が問題にならないのは、もちろん、その基礎とした病因の過程に妥当性がほとんどなく、したがって実用性がないに等しいからである。 →だから、科学に正当性が無いとするのが、宗教だった。 ・強制水泳試験がよい例である。このテストではマウスを水桶に投入して、もがかせ、ぐったりしてもがかなくなるまでの時間を計る。抗うつ薬を短期間投与しておくともがく時間が長くなる。そこで、このテストは新規抗うつ薬が現行と同じ作用機序を有すると同定するテストに非常に有効だとされてきた。しかし、正常のマウスを水桶に投入したらうつ状態ができると信じるべき根拠は全然ない。 →!!。こんなテストが在るなんて。 ・なお、医学誌家エランベルジェによれば、アメリカの精神医学分類は「一」を目指すという。米国精神医学会のシンボルとなっているベンジャミン・ラッシュがすでに万病一元・治療一薬を唱えていた。アドルフ・マイヤーの「メンテーション」という概念も身体と精神をスペクトラム的一元論で捉えるものであった。ついで精神分析を正当精神医学と認める唯一の国となる。 →万病一元・治療一薬なら、iPS細胞が答えになってしまうのではないか。治療としてでなく、治療論としても。 ・用語はおおむね黒木氏に従ったが、「障碍」の「碍」は私の独断で使わせてもらった。この字は日常には電柱の「碍子(insulator)」にしか使わず、「(電流が流れるのを)さまたげる」という意味である。むしろ「障」に近く、「障害」の「害」よりもよいであろう。「障がい者」などと当事者が書いておられるのはいたましい。この種のことに医師は鈍感である。また、現在のアメリカの用法では「精神病理」は「病的言動の総体」とほとんど同義である。 →あとがき、中井久夫。「碍」の用法は先に読みたかった。 (埼玉県立久喜図書館)
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