高校を生きるニューカマー の商品レビュー
大阪府立高校の外国人生徒対応(含む中国残留孤児帰国者子息)について紹介した一冊。なお2008年刊行なので、情報は10年以上前のもの。 当時の大阪では中国系のニューカマーが多く、その子息をどう受け入れるかがポイントだったらしい。そして、そんなニューカマーがよく入居したのが公営住宅...
大阪府立高校の外国人生徒対応(含む中国残留孤児帰国者子息)について紹介した一冊。なお2008年刊行なので、情報は10年以上前のもの。 当時の大阪では中国系のニューカマーが多く、その子息をどう受け入れるかがポイントだったらしい。そして、そんなニューカマーがよく入居したのが公営住宅で、それは大阪の地域史的な事情で人権問題意識が高い地域と重なりやすい。結果的に「社会背景的な事情でしんどい状態にある子」を受け入れる、という文脈で、ニューカマーの子息を受け入れようとしていった、というのがこの本の背景にある。 ただ、そういう背景を理解せずに考えても、いろいろと考えさせられる一冊。 この本は、そういう教育を担当する教員側の声以上に、そんな教育を受けている生徒の声も多く載せていて、それがとても読み手に響く。 大阪府立高校の場合、外国からの入国や帰国子女枠を設ける学校を数校設定し、そういう学校にニューカマーが集まる試験システムなのですが、そういう学校には「同じルーツを持つ人」が多くいることに安心を求める人も多くやってきた。それは著書内に紹介されたアンケートでも紹介されている。 でもそれをもっと端的に感じたのが、親の国際結婚で日本にやってきた女子生徒の例。 「将来の進路や職業の希望を描く際の相談相手となっていた「友だち」は「空」であった」その生徒に、同じ国出身の大学院生が大学にいる、と言ったところ 「会いたいなー。相談できる?(中略)お母さんが、ちょっと難しいから、優しくしてくれるかな?(中略)その先輩も忙しいかな?(中略)勉強するとき、お金かかる?(以下略)」 とマシンガンのように思いを吐露した(p.169)。 クラスの友達と「仲良く」やっていけてる、と自分で言っているような生徒でこうなのだとすれば、それは大半のニューカマーが持っている感情だと言っていいし、現われ方が違うだけで、いわゆる「普通の日本の生徒」も似たような感情を持っている、と言っていい。 一方で、どうしても同じルーツの人間同士で集まりがち、という問題も同時に起こるため、そのバランスに教員は苦慮するらしく。その対応は学校により違いがあるようで、わかりやすい正解のない問題らしい。 興味深かったのは、入学する日本人生徒に「学力面での課題のある生徒がいる」ため「丁寧な授業が行われている高校では、言葉にハンディが多いといわれるニューカマー生徒も、じっくりと授業の内容を反すうし、問題に取り組むことができる」ようになった、という例(p.292-293)。 納得はする反面、この高校では他の高校ではよくある「他文化交流」的な観点での活動は活発とは言えない(させたくても、それをやれるだけの余力(コミュニケーション能力含む)が足りないだろうな、と推察される)。 この高校は相当割り切った例なんだとは思うけど…どんな活動に焦点を置くのか、という割り切りがないと、どれもこれも中途半端になりかねない。それがニューカマーの受け入れ教育であり、恐らくは「しんどい事情を抱えた子」を受け入れる、ということなんかもしらん。 会社が法律に基づいて受け入れるのは外国人の「人材」だとしても、社会が受け入れるのは外国人の「人間」。「人間」だからこその大変さを考えるための一助となる本かな、と感じた一冊。
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