ペドロ・コスタ 世界へのまなざし の商品レビュー
『ペドロ・コスタ 遠い部屋からの声』に続けて借りてきた。何人かが書いている本だが、ペドロ・コスタの話の翻訳部分を中心に読む。 『We』169号で話を聞いた張さんが、ペドロ・コスタ監督がすごいなあと思うと言っていたのは、こんなところかなあと思いながら読む。 ▼…映画において...
『ペドロ・コスタ 遠い部屋からの声』に続けて借りてきた。何人かが書いている本だが、ペドロ・コスタの話の翻訳部分を中心に読む。 『We』169号で話を聞いた張さんが、ペドロ・コスタ監督がすごいなあと思うと言っていたのは、こんなところかなあと思いながら読む。 ▼…映画においては、見せるということと同様に、見せないこと、隠すことが大切な場合があり、おそらく、映画とはあなた方のものごとに対する視線、視覚を一点に集めるものなのです。…映画とは視覚の集中のために作られたものなのです。集中させるということは隠すことと同じです。(p.100) ▼私にとって最も大切な映画の機能とは、何かが機能不全になっていることを感じさせることです。ドキュメンタリー映画であれ劇映画であれ、それは変わりません。映画が撮影され上映された最初のときから、何かがうまくいっていないことを示すものだったのです。…写真を例にとってみれば…私たちは自分が見ているものの証拠を得るために写真を撮るのです。(p.101) ペドロ・コスタによると、小津安二郎は「登場人物を自分の頭のなかで考え出したことは一度もない。私は実際の友人を映画のなかに複製するのだ」と言ってるそうだ。 へえぇ、そんなもんなのかと思う。同じく『We』169号でインタビューを掲載している浜野佐知監督によれば、男がつくった映画で描かれている女性たちは、妄想のカタマリが顕現したもののようでもあり、小津の映画にしたって枯れたカワイイじいさんとばあさんが描かれているばかりで、浜野監督は、そんなカワイイ愛されるじいさんばあさんを描きたいんじゃない、すっくと立って「私だってセックスしたい!」と叫ぶばあさんをむしろ描きたいのだと言う。 映画に描かれていないものは何か、と考えると、やはり浜野監督が妥当な気もするのだった。
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