俯き加減の男の肖像 の商品レビュー
本書は前半・中盤はおもしろく、終盤はつまらない竜頭蛇尾の本だった。 時代設定は、江戸時代、上り坂の元禄バブル期から下り坂の宝永時代。徳川家による全国支配が安定期に入り、商品経済・貨幣経済が高度に発達する中で、武士の経済的な没落と商人の勃興、農民の商品経済への関与を、著者の堺屋太...
本書は前半・中盤はおもしろく、終盤はつまらない竜頭蛇尾の本だった。 時代設定は、江戸時代、上り坂の元禄バブル期から下り坂の宝永時代。徳川家による全国支配が安定期に入り、商品経済・貨幣経済が高度に発達する中で、武士の経済的な没落と商人の勃興、農民の商品経済への関与を、著者の堺屋太一氏は、武士・商人・農民のそれぞれに正義と主張があり、それは経済的にも合理的に説明できることを、登場人物に託して語っている。 堺屋太一氏は「団塊の世代」という言葉を世に送り出した元通産省の官僚で、1流の経済評論家でもある。小渕内閣では、経済企画庁長官長官も勤めた経歴もある(1998年)。 しかし、本書では、主人公の商人に「少ない人数でたくさんの綿を作り出すことはよいことだ」(生産性の向上)と語らせ、農民には「不景気で村に帰る多くの人に、狭くとも良いから土地をよこせ」(生存権)を語らせる。武士には「江戸幕府の収入は50万両、支出は140万両。だから倹約を」と語らせ、現代の経済知識では、商人、農民のそれぞれに二つの違った経済政策が背景にあり、武士の倹約政策は需要をさらに減退させる誤った政策だと両断する。 本書の前半・中盤では、それぞれの階層には、それなりの正義があると登場人物に語らせるなど、小説としておもしろいものでもあるのだが、終盤での収束が無い。主人公に、現在の経済的知識をもとに、いろいろ問題点を語らせるのだが、結論が「70年たっても答えは出なかった」では、あまりにもひどい。やはり小説である以上、最後は、成功なり敗北なりで、ロマンを満足させ、カルタシスを読者に与える幕引きを考えるべきだと思う。もし、それができないのならば、小説にすべきではないと思うのだ。 考えてみれば、農本経済、商品経済それぞれが、それに適した社会的条件のもとでなりたつもので「正しい」「誤り」というものではない。本書では、「淀屋辰五郎の追放」「石田梅岩の石門心学」などの歴史的エピソードをちりばめ、それなりに興味深いところもあるのだが、肝心の主人公の行動に「さわやかさ」が無い以上、小説としては失敗作だろうと思う。ただし、江戸期の経済政策の入門書としてはそれなりにおもしろいかもしれない。
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