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現代語訳 吾妻鏡(3) の商品レビュー

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2023/06/28

1186年~1187年の『吾妻鏡』の記述。 ・本巻の政治情勢 ・吾妻鏡 第六 文治二年(1186)正月~12月 ・吾妻鏡 第七 文治三年(1187)正月~12月 本書のほぼ三分の一をを占める分量の注、有り。 付録は、干支表、時刻表/方位、大倉御所概念図、 鎌倉時代の鎌倉。 鎌倉...

1186年~1187年の『吾妻鏡』の記述。 ・本巻の政治情勢 ・吾妻鏡 第六 文治二年(1186)正月~12月 ・吾妻鏡 第七 文治三年(1187)正月~12月 本書のほぼ三分の一をを占める分量の注、有り。 付録は、干支表、時刻表/方位、大倉御所概念図、 鎌倉時代の鎌倉。 鎌倉幕府と朝廷の、付かず離れずの交渉が頻繁に。 問注所(政所)執事に三善康信、公文所別当に中原広元、 京都守護に北条時政、朝廷側の初代関東申次に藤原経房と、 鎌倉幕府の政治の基礎が確立しつつある様子が窺える。 兵糧米の徴収の許可や、守護・地頭の設置も。 一方で、平氏等謀叛人の国領での混乱として、 地頭と荘園のトラブルや年貢、武士による不法行為や、 寺院仏閣の訴訟等の問題が次々と現れてくる。 そして、源行家や源義経の家人たち捕縛され斬首されるが、 義経本人の行方はなかなか摑めず、ついに奥州入りが判明。 しかも藤原秀衡が死去の報は、次の戦乱の予兆とも成る。 静御前の事や梶原景時の讒言と畠山重忠の潔癖さを 現わす逸話も登場。え、こんな事を記録に残しちゃうの?な、 話も登場したりして。御熊野詣に行く予定の後白河法皇も元気!

Posted byブクログ