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玉ねぎの皮をむきながら の商品レビュー

4.3

4件のお客様レビュー

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2022/03/29

尽きることのないイメージが多重に移動する視界と、自在な時制に掛け合って、さらに移行する明瞭度、嘘と本当の間の曖昧さが、そのまま書かれていてめまいが起こりそうだ。 これは過去を確かめようとする時に起こることを正確に記すという意思により起こっているように思う。 自分自身の持つもっと明...

尽きることのないイメージが多重に移動する視界と、自在な時制に掛け合って、さらに移行する明瞭度、嘘と本当の間の曖昧さが、そのまま書かれていてめまいが起こりそうだ。 これは過去を確かめようとする時に起こることを正確に記すという意思により起こっているように思う。 自分自身の持つもっと明瞭に記憶している過去があるととりあえず見做している嘘に気づくが、そう言うわけにはいかなかったのだろう。次はブリキの太鼓読もう。

Posted byブクログ

2018/10/19

これはすごい。 ナチスの親衛隊に入っていたというのがどの程度衝撃的なことなのか。 戦時中のエピソードは波乱万丈すぎる。 戦後もなかなかなわくわくする。 読むほどにひきこまれる。

Posted byブクログ

2011/04/04

清水眞砂子の『不器用な日々』で知った本。2月の終わり頃から、いったりきたりして読んでいた。1927年生まれのギュンター・グラスが、みずからの前半生を思いだし、語った本。グラスの自伝的な作品といわれるこの厚い本を読みながら、シンガーを思いだしたりした。 グラスは、想起は玉ねぎに似...

清水眞砂子の『不器用な日々』で知った本。2月の終わり頃から、いったりきたりして読んでいた。1927年生まれのギュンター・グラスが、みずからの前半生を思いだし、語った本。グラスの自伝的な作品といわれるこの厚い本を読みながら、シンガーを思いだしたりした。 グラスは、想起は玉ねぎに似てくるといい、記憶と矛盾することもあり、ごまかしが入り込むこともあるという。 ▼玉ねぎにはたくさんの皮がある。山ほどあるのだ。ひと皮むけば、すぐに新たに生まれ変わってしまう。だが、刻むと涙が出てくる。皮はむかれて初めて、真実を語るのだ。(p.8) 表紙をはじめ、各章にはグラスによる玉ねぎの絵がずっと入っている。半分に割られた玉ねぎは、しだいに乾いてしぼんでくる。そして、むかれて、ばらばらになっていく。この作家は、彫刻家でもあり、版画家でもあった。 第二次大戦中だった少年のとき、おなじ勤労奉仕隊員のなかで、「私たちはそんなことはしません」と言い続け、決して銃を手に取らなかった彼がいたことを、グラスは書いている。どんな懲罰が与えられても、彼は「ワタシタチハソンナコトハシマセン」と言い、自分が手に取ろうとしないものを銃とさえよばなかった。ある日、彼はいなくなった。強制収容所行きになったらしい。 銃殺されたフランツ叔父のこと、ディックスや、クレー、ホーファーなどの禁じられていた作品が載った美術雑誌や図録を生徒に見せていた女性教師のこと、妻のこと、息子たちのこと、スターリニズムの犠牲者数と広島と長崎の原爆による死者数が繰り返し比較されたがアウシュヴィッツについてはひと言もなかったという東西の議論のこと、母のこと…グラスの想起を読みすすんではまた戻りながら、読み終える。 訳者は巻末の「解説」でこう書いている。 ▼『玉ねぎの皮をむきながら』で「問うことはなかった」としきりに口にしたように、疑うこと、自分に問いかけることをしなかったがゆえに知らず知らずに戦争に加担し、自らも「火傷」した彼は、戦後になると一転、自分自身に懐疑心を向けながら、作品ごとに脱皮していったと考えられる。(p.458) 前後して読んだ『1995年1月・神戸』で、菅啓次郎のこんなことばが引用されていた。 ▼「思いだすこととは、けっして静かな内省あるいは回顧の行為なのではない。それは苦痛にみちたre-membering(身体各部の再統合)であり、ずたずたに引き裂かれた過去をひとところに集め、現在に残る外傷の意味を理解することだ。」(p.164) グラスの想起は、そういうre-memberingなんかなあと思った。

Posted byブクログ

2011/02/18

この本の内容的に、ドイツを代表するこの作家が、 実はナチの親衛隊員だったという告白が話題になったけど、 それは私の目から見たら特別なことでないなぁ。 この時代、ティーンエージャーなら、日本でもそうだったけど もっとも洗脳される年齢だし、「うちてしやまぬ」になっても 不自然でなく...

この本の内容的に、ドイツを代表するこの作家が、 実はナチの親衛隊員だったという告白が話題になったけど、 それは私の目から見たら特別なことでないなぁ。 この時代、ティーンエージャーなら、日本でもそうだったけど もっとも洗脳される年齢だし、「うちてしやまぬ」になっても 不自然でなく、また誰も彼を責められないでしょう。 それなのに、これを書くには大変な勇気がいったという著書。 ドイツの戦後処理の考え方なのかな。 印象的なのは収容所の中で、食べ物がないけど、料理人による料理教室が言葉だけで行われて、みんなすっかり夢中になったこと。死人やら大昔の人やらを招いての食事会を妄想するところもすごくいいな。あとは作家として、物語が生まれたところを記した部分も。

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