復興期の精神 の商品レビュー
この種の批評はもはや散文詩であって、いま批評としては有効ではないだろう。面白くなかったかと言われたら、面白いところもあったけれど。
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出版されたのは1946年10月とまさに「復興期」であるが、中に収められたエッセイの大部分が太平洋戦争の最中である41年から43年に書かれている。つまり、復興論の正体は抵抗論でもあるということ。 西欧ルネッサンス期の有名人達を大胆なレトリックを用いて論じたと言われる本書は、その...
出版されたのは1946年10月とまさに「復興期」であるが、中に収められたエッセイの大部分が太平洋戦争の最中である41年から43年に書かれている。つまり、復興論の正体は抵抗論でもあるということ。 西欧ルネッサンス期の有名人達を大胆なレトリックを用いて論じたと言われる本書は、その修辞技法の縦横無尽っぷりだけでも楽しめるが、やはり一番のポイントとなるのはそのレトリックというものが、常に、言論統制という「現実」と相対するための必然に迫られた上であったと言う事。そう、日本文学に於いて三島由紀夫や阿部公房、村上春樹といった巧みなレトリックの使い手は多く存在したが、それは時に自己目的化され著者の自意識の鏡像となり、結果読み手を選んでしまうという難儀な面も持っている。(ちなみに自分は三島由紀夫の装飾過多な文章が割と苦手だったり) そう、本書でのレトリックは、著者がただ自由にモノを言う方法に腐心し、己の主張を曲げぬと言う決心のために、それを読み手に届けるのたという意思を持って使われている。だからこそ、レトリック自体が強さを持ち、しなやかなで力強い筋肉の様な美しさと強度を合わせを持っているのだ。時代に対して馬鹿正直に正面切って敵対し、屈して打ちひしがれる必要なんてない。笑顔で握手しておいて、後からこっそり背後からナイフで刺してしまえ。
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1/15 ルネサンス→戦後をどうやって生き延びるか。 何の留保もなくおもしろい、というのが名著の一つの条件であると信じている。 理由は探せば出てくるだろう。 背景も何もなく、ただ言葉の力にひれ伏すのみ。
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