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定本 日本の喜劇人 の商品レビュー

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2016/08/14

全二冊の超大作。内容は、 ◆喜劇人篇 「日本の喜劇人」1972年 「植木等と藤山寛美 喜劇人とその時代(喜劇人に花束を=日本の喜劇人2)」1992年 「おかしな男 渥美清」2000年 ◆エンタテイナー篇 「笑学百科」1982年 「天才伝説 横山やすし」1998年 「これがタレント...

全二冊の超大作。内容は、 ◆喜劇人篇 「日本の喜劇人」1972年 「植木等と藤山寛美 喜劇人とその時代(喜劇人に花束を=日本の喜劇人2)」1992年 「おかしな男 渥美清」2000年 ◆エンタテイナー篇 「笑学百科」1982年 「天才伝説 横山やすし」1998年 「これがタレントだ1963・1964」(単行本に初収録) 「おかしな男 渥美清」は先日読んだばかりだが、また読んでしまった。「これがタレントだ」知らない名前があるのは当たり前か。

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2012/03/18

本屋の棚にあることはだいぶ前から気付いていたけれど、しばらくためらっていた。たなぞうの感想コーナーを読み、購入を決意。 既読の部分が多かったが、定番というべき評論と思う。植木等、藤山寛美、伊東四朗について取り上げた評論など読み応えあり。単行本として刊行されていた渥美清や横山やすし...

本屋の棚にあることはだいぶ前から気付いていたけれど、しばらくためらっていた。たなぞうの感想コーナーを読み、購入を決意。 既読の部分が多かったが、定番というべき評論と思う。植木等、藤山寛美、伊東四朗について取り上げた評論など読み応えあり。単行本として刊行されていた渥美清や横山やすしについての評論が内容が濃い。 著者にしか書けない話。人を呼んだことのない渥美のアパートで著者は喜劇論議で夜を明かす。直接の利害関係がなく、同好の士として気が合う二人。しかし、著者は友人ではないと云う。極端な個人主義ということでは似たもの同士のように見える。 以下、引用。 こうしてみてくると、彼が森繁よりはるかに幅のせまい役者であることは明らかであろう。(中略)渥美清は、まず、大学を出た人間を演じられない。さらに現代的な知的悪役ができない。(中略)フーテンの寅という人物は、現実の渥美清と正反対の人物像のようにみえるが、どこかでヘソの緒がつながっているにちがいなく、それはスケールこそちがうが、ドライな生活者チャップリンと、彼が扮する感傷的な浮浪者チャーリーとの関係に似ているかもしれない。 こうした冷静な分析には痺れた。 他にもこんなエピソード。 ・某有名俳優の渥美へのいやがらせ。(へ〜、そんなことが。) ・ある喜劇俳優に俺の映画どうだったと詰問され、ともかく誉めたら、渥美からどういうことだ、と詰るような電話。 当時書けなかったちょっと驚く話も多い。勿論、まだ書けないこともあるとのこと。 だけど、既刊の日本の喜劇人にあったような写真が全然無いというのは、どういうこと。

Posted byブクログ

2010/05/30

小林信彦「天才伝説 横山やすし」 (『定本 日本の喜劇人/エンターテイナー篇』所収)を読む。 「日本の喜劇人」(1982)は、 演芸・エンターテインメントジャンルの名著である。 僕は折に触れ、何度も読み直してきた。 小林信彦のライフワークと言えるこの領域の著作を 全二冊の定本と...

小林信彦「天才伝説 横山やすし」 (『定本 日本の喜劇人/エンターテイナー篇』所収)を読む。 「日本の喜劇人」(1982)は、 演芸・エンターテインメントジャンルの名著である。 僕は折に触れ、何度も読み直してきた。 小林信彦のライフワークと言えるこの領域の著作を 全二冊の定本として2008年4月に完成したのが 『定本 日本の喜劇人』である。 読みごたえがあり、資料としても大変重宝する。 「天才伝説 横山やすし」は僕は未読だった。 類い稀な存在感を持った漫才師、やっさんこと横山やすしは、 どうにも気になる存在だった。 小林は、この作品で関係者をすべて実名で出し、 ここまで書いてよいのか、と思われるほど やっさんの魅力の本質に迫っていく。 関係者の感情ばかりおもんぱかっていては作品など書けない。 その様は、作家の業を思わせた。 けれど、同時に小林の筆致には抑制が効いており、 スキャンダラスな事件の数々にも感情移入しすぎず表現していく。 そのバランスが絶妙であるため、 ドキュメンタリーとしての完成度の高さが、この作品に生まれた。 小林の作品「唐獅子株式会社」映画化の際に やっさんを指名し、口説き落とし、出演させたのは 作者である小林本人だった。 自ら「やっさんワールド」にある時期身を投じ、 困惑、迷惑を感じながらも 横山やすしという才能に直接向き合っていた時間があったからこそ この作品が書けたと僕は思う。 加えて、小林は恐るべきメモ魔である。 それだけに、事実関係と印象とを混在させない書き方が 可能であり、 資料としての価値が高いのはその方法論によるところが大きい。 やっさんは、1992年に謎の殴打事件に巻き込まれ、 1996年に肝硬変で死ぬ。享年51。 僕が思っていたより意外に若くしてこの世を去った。 横山やすしは「破滅型」ではない、「自滅型」である と小林は喝破している。 身近にいたらこれほど迷惑な人はあるまい。 しかし、窮屈な日々の中で、 僕たちはやっさんのように本音や本能で生き、 当意即妙の芸を持つ人間を求める。 それは数値化できない人間の不思議であり、 芸の奥深さである。 もしそうした不思議や奥深さがこの世になかったとしたら、 人生はなんと味気ないことか。 ●●● 小林信彦「おかしな男 渥美清」 (「定本 日本の喜劇人/喜劇人篇」所収)を読む。 推測でなく、事実を記録と記憶に基づいて書き記す 小林のアプローチはここでも貫かれる。 僕は夢の遊眠社の舞台を集中的に見ていた時期がある。 人気が出始め、下北沢本多劇場、新宿紀伊国屋劇場を 毎回満員にしていた頃だ。 その頃、キャップを目深にかぶり、 確かジャンパー姿だったかの服装をした渥美清を 一度ならず劇場で見かけたことがあった。 渥美自身、寅さんで既に国民的人気者なのに 小劇場にまで通うとはずいぶん勉強熱心だな、 とそのときは思っていた。 小林の作品を読むと、渥美の勉強は野田秀樹の舞台に限らず、 かなり広い領域において、日常的に続けられていたことが分かる。 そして、そんな自分を渥美はケチで欲張りであると 書いたことがあった。 できればいいものを自分だけが見て、 独占しておきたいと告白するのだった。 業の深さと引き換えにするかのように 芸で輝き僕たちを幸福にする喜劇人がいる。 渥美清も、横山やすしも、そうした数少ない喜劇人であることが 小林の一連の作品から伝わってくる。 彼らの持つ毒に心身をどこか犯されながらも、 絶妙の距離を保ちながら書いてゆく小林の、 紛れもないライフワークが 「定本 日本の喜劇人」(全二巻)である、と僕は思う。 なんせ「新劇」に「日本の喜劇人」(中原弓彦名義)を 連載してから昨春、この定本を出すまでに 37年の時間をかけているのだ。 小林の、作家としての業も深い。 「おかしな男 渥美清」は、 新潮社「波」1997年4月号ー1999年12月号初出。 (文中敬称略)

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