ダモイ 遥かに の商品レビュー
昭和31年12月24日の舞鶴港。シベリア抑留帰還兵を乗せた最後の輸送船には、必ず生きて帰還(ダモイ)するという強い信念で、強制収容所(ラーゲリ)の仲間たちを励まし希望の光を灯し続けた、島根県隠岐郡出身の山本幡男さん(1908-1954)の姿はなかった・・・。 『収容所から来た遺書...
昭和31年12月24日の舞鶴港。シベリア抑留帰還兵を乗せた最後の輸送船には、必ず生きて帰還(ダモイ)するという強い信念で、強制収容所(ラーゲリ)の仲間たちを励まし希望の光を灯し続けた、島根県隠岐郡出身の山本幡男さん(1908-1954)の姿はなかった・・・。 『収容所から来た遺書』の著者が、山本さんに厚い信頼と尊敬の念を抱いた収容所仲間によって、帰還を果たせず病死した山本さんの家族宛ての遺書4500字を分担転記し、記憶にとどめ遺族の許へ届けた、魂の絆と戦争の悲劇を語り継いだ慟哭のノンフィクション。 装画は伊勢英子さん。
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人生には忘れることのできないいくつかの本がある。20年前に読んだ「ラーゲリから来た遺書」の感動は今も蘇る。ソ連の収容所、日本人捕虜の中で指導者的な立場にあった山本幡男氏の遺書を、没収されることを避ける最大の手段である暗記によって遺族に届けられた実話だった。本文、母へ、妻へ、子ども...
人生には忘れることのできないいくつかの本がある。20年前に読んだ「ラーゲリから来た遺書」の感動は今も蘇る。ソ連の収容所、日本人捕虜の中で指導者的な立場にあった山本幡男氏の遺書を、没収されることを避ける最大の手段である暗記によって遺族に届けられた実話だった。本文、母へ、妻へ、子どもたちへの四つの遺書は山本さんの家族だけに宛てたものというより、残されたすべての人々へのメッセージとして本当に力のある文章だった。どんな苦境の中でも「ダモイ(帰還)」を心に刻みつけ、辛い中でも小さな喜びを見つけユーモアを持って生きること、俳句をひねることで日本を忘れないことなど、ともすれば失望に落ち込む同僚たちを励ます素晴らしい人がいたのだ。「ラーゲリから来た遺書」執筆当時はできなかった現地取材、新たな現地取材を経て小説仕立てにした物語。
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