正義 の商品レビュー
ジューディス・N・シュクラー「恐怖の自由主義」という考えを中心に、マイケル・イグナティエフ、ジェレミー・ウォールドロン、マーサ・ミノウといった(少なくとも私にとっては)あまり馴染みのない思想家の議論を紹介しながら、現代的な正義論が見落としている問題を鋭く指摘している本です。 著...
ジューディス・N・シュクラー「恐怖の自由主義」という考えを中心に、マイケル・イグナティエフ、ジェレミー・ウォールドロン、マーサ・ミノウといった(少なくとも私にとっては)あまり馴染みのない思想家の議論を紹介しながら、現代的な正義論が見落としている問題を鋭く指摘している本です。 著者はナンシー・フレイザーとアイリス・M・ヤングの論争に言及し、「再分配の正義」と「承認の正義」という2項対立がつかみ損ねているのは、ある出来事を不正だと感じ、その感覚を受け取った者たちの声を聞き届けようとする、そうした意味での「正義」ではないかという問題提起をおこないます。その上で、理性に基づいて理想的な規範秩序を実現しようとするロックの「自然権の自由主義」や、みずからの能力を十全に活動させることに自由の意義を見いだそうとするミルの「人格的発展の自由主義」ではなく、「いま現在、どこかで誰かが拷問を受けており、深刻な恐怖がふたたび社会党性のもっともありふれた形態になってきている」ことに目を向けることから出発するシュクラーの正義論へと議論を進めていきます。その上で、「強き者」たちが語り出す「権利」の語法を一挙に廃棄してしまうのではなく、たえずそこへ向けての見直しをおこなっていくような形で、「権利」と「ニーズ」を調停する方向性を探ろうとしています。 政治哲学を専門としない読者としては、フレイザーやヤングはともかく、シュクラーやウォールドロン、ミノウといった思想家は名前すら聞いたことがなかったのですが、現代の正義論のうちでこのようなテーマを扱うことができるということに驚きを覚えました。表象可能性の彼方に他者を放逐してしまうレヴィナスのような語り方でもなく、経験的なレヴェルに密着するあまり理論を自然化してしまう危険性に付きまとわれざるをえないギリガンのような語り方でもない仕方で、正義の見直しを進めていこうとする試みがなされているということに興味をかき立てられます。
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