証人たち の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
メグレ警視もので知られるジョルジュ・シムノンだが、当然ながらメグレが登場しない小説も書いている。そして、小説好きには案外そちらの方が評判がいい。『証人たち』もその一冊に入るかもしれない。 グザヴィエ・ローモンは、パリ近郊の町で重罪裁判所の判事をしている初老の男。ランベール事件の裁判を明日に控え、下調べをしていると、いつものように妻が呼び鈴を鳴らす。妻は何年も前からベッドに寝たきりで、昼は家政婦が用を務めるのだが、夜は夫が薬を与え、脈を計るのがならいになっている。 夫が仕事に取りかかると呼び鈴が鳴る。ローモンには、それが妻の嫌がらせのように感じられる。発作を抑える薬はストリキニーネが調合されている。コップの水にきっかり12滴。夫はわざと妻の前で声に出して数える。会話は他人行儀なくらい丁寧だが、二人の関係は冷え切っている。妻は看護を名目にして夫を縛りつけているのだろうか。 小説は、ランベール事件で裁判長を務めるローモンの視点で語られる。妻殺しの嫌疑をかけられている被告の裁判が進むにつれ、証人や傍聴席に座る人々がローモンに、過去の様々な出来事を思い起こさせる。証言の合間や休廷中、流感に罹っているローモンの熱に浮かされた頭には、映画のカットバックのように過去に関係のあった女性や亡き父の晩年の姿が事件の状況と絡まり合いながら、浮かび上がっては消えるのだった。 被告の妻には夫の他に何人もの男がいた。夫はそれを知りながら放置し、自分は他の女に言い寄っていた。証人たちや警察等事件の関係者は、事故死に見せかけて夫が殺害したという見解でほぼ一致しているが、ふだんは冷静な裁判長が、検察側証人の陳述に執拗に口を挟む。裁判長はいったいどうしてしまったのだろう。 実は誰も知らないことだが、被告の置かれている立場は裁判長であるローモンにとって、他人事ではなかったのだ。ローモンの結婚は遅かった。財産目当てではなかったが、資産家の娘を妻にしたら、そう思われても仕方なかった。子どもができなかったことも災いした。二人の関係は冷えたものとなり、妻は別の男を愛するようになったが、相手の結婚を知った妻は絶望し自殺を図る。自殺に失敗した妻はそれ以後ベッドから出ようとしない。 誠実に妻の介護をし続けるローモンだったが、それが重荷になっているのも事実だった。彼にも今では心を許した相手がいる。職業柄、妻が薬の飲み過ぎで死んだ場合、自分が疑われることを知っている。妻が故意に飲み過ぎたか、夫がわざと多く飲ませたのか、それが誰に分かるだろう。裁判の場で、次々と証人たちが述べる陳述に苛立ちさえ覚えるのは、事実を知っているのは、当事者であって我々ではないからだ。 長く一緒に暮らしてきた妻の心さえ、自分には理解できていなかった。過去に不幸な事件があったとしても、いつかは二人で笑い会える時が来るだろうという自分の気持ちだって、妻には理解できなかった。ローモンの胸に去来するのは、「人間が他の人間を理解するのは不可能であるという認識」である。裁判に携わるものとして、この認識はいかにも苦い。ロ-モンは、この裁きをどうつけるつもりなのだろうか。 男と女の心理の綾を描くのはフランス文学の得意とするところだが、そこはシムノン。推理小説にありがちな類型的な人物像とはひと味も二味もちがうリアルな人間を描き出している。サスペンスに満ちた裁判劇を縦糸に、老いを迎えつつある中年の男女の愛憎を横糸にして、証人たちはもとより、登場する様々な階層の老若男女の人間模様を、雪もよいのフランスの小都市を背景に織り上げて燻銀の味わいを見せる。パトリス・ルコント監督、ダニエル・オートイュ主演で誰か映画化してくれないだろうか。
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