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月のえくぼを見た男麻田剛立 の商品レビュー

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5件のお客様レビュー

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2016/10/10

麻田剛立さんは、子どもの頃から「観察力」というものがあったのだと思いました。 僕は、一日中使って、何かをやるということは出来ません。なぜなら、勉強があるということもありますが、僕はたぶん飽きてしまうと思うからです。 なので、麻田さんを尊敬します。

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2014/04/29

江戸時代の解剖学者であり、天文学者でもある麻田剛立の伝記なんだけど、書いてある文章は「えっ?3,4年生向き?」と思うほど平易。でも、書いてある内容はケプラーの第三法則など、結構難しい。バランスが悪いんだな。内容を理解するにはそれなりの理解力と知識がいるけど、そういう力のある子は地...

江戸時代の解剖学者であり、天文学者でもある麻田剛立の伝記なんだけど、書いてある文章は「えっ?3,4年生向き?」と思うほど平易。でも、書いてある内容はケプラーの第三法則など、結構難しい。バランスが悪いんだな。内容を理解するにはそれなりの理解力と知識がいるけど、そういう力のある子は地の文章のお子ちゃまっぽさにうんざりしてしまいそう。 さらに、幼いころから天才的な才能を示し、若くして主君の侍医となるも、同僚から嫉妬によるいじめを受け、脱藩して天文学者として生きるという劇的な人生なのに、書き手が下手だから(はっきり言って)面白くない。結婚したのかとか(子どもはいなかったとは書いてあったが)、私生活のことももっと膨らませて、伝記でなくフィクションにしても良かった。 『海辺の宝もの』みたいに。 もっとちゃんとした小説家が書いてくれれば、どれだけ面白かったかと思うと、本当に残念。素材が良いだけに。

Posted byブクログ

2012/10/01

剛立は幼少の頃から、空に興味をもち自分で一生懸命調べた。根気よく、具合が悪くても…またそれを見守る優しい両親にも恵まれた。物事を知ろうとする探究心、昔の人ってなんて偉いんだろうって思った。

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2012/03/02
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

麻田剛立(あさだごうりゅう)は江戸時代、豊後の国杵築(現代の大分県杵築)に生まれました。父は杵築藩の儒学者であり、30歳までの人生の前半は綾部妥彰(あやべやすあき)と名のって、杵築藩の医師として働いていました。 幼い頃から天文に興味を持ち、5歳の頃から太陽の動きを観測しはじめ、6歳の時には星が西にずれてゆく動きにも理解していた。毎日、太陽の南中高度などを観測したり本を読んでばかりで、ほかの子どもたちとちっとも遊ばないため、母は心配もしたが、父は剛立のやりたいようにさせてやっていた。剛立16歳の時には、政府の出している暦の間違いに気がつき、月食や日食を予見することが出来るようになった。 医師となり、藩の侍医(じい)として、藩主・松平親貞(ちかさだ)とともに江戸、大阪に赴くことになった。しかし、一番若くして実力のある剛立は、侍医の仲間うちで打ち解けず、悩んでいた。 侍医を辞める決意をするも、藩主からの許可が下りず、やもえず脱藩して大阪に向かった。 この時から麻田剛立を名乗り、天文学を深め、また、医師として解剖学も極めていった。いつしか剛立のまわりには、優秀な弟子が集まるようになり、研究は充実してゆく。弟子たちに幕府の暦を一新させ、その研究の精神は伊能忠敬らにも受け継がれてゆく。死の間際まで、天体観測を続けた麻田剛立。 タイトルの月のえくぼを見た男・・・月のえくぼとはクレーター。そのクレーターには過去の偉大な天文学者の名前がついていて、コペルニクス、ケプラー、アインシュタインなどのそうそうたる名前が並ぶ仲、アサダの名前がついている。

Posted byブクログ

2009/10/04

幼少の頃から天体に興味を持って、それを自分なりに分析しようとするなんてすごいなぁ。2009年夏の課題図書。

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