要説 更級日記 の商品レビュー
「更級日記」の受験用参考書。 上段に古文の原文、下段に現代語訳、その後に語句の解説やその文を使った問題例、最後にその文章の解説(鑑賞)という構成。高校生向けなので説明は丁寧だし、なおかつよく試験や教科書に出る(=全体の構成の中で特に重要なところを抑えてる)という意味では、「とりあ...
「更級日記」の受験用参考書。 上段に古文の原文、下段に現代語訳、その後に語句の解説やその文を使った問題例、最後にその文章の解説(鑑賞)という構成。高校生向けなので説明は丁寧だし、なおかつよく試験や教科書に出る(=全体の構成の中で特に重要なところを抑えてる)という意味では、「とりあえず更級日記ってどんなもの?」という興味を満たすには十分なもの。 父の赴任先の田舎で幼少期を過ごした少女が、都に戻った後もその夢見がちな性格を物語の世界に投影しながら育ち生きた、そんな人生を本人が晩年になってから思い出すように書いた日記。 そんな夢見がちな自分を突き放しきるわけでもなく、でも全肯定するわけでもない、そんな書き方が続く。 自分みたいな未熟ものには…この感覚を高校生の頃に理解できなくても当然で。作者が自身の人生を振り返った歳に近づく今だからこそ、この日記の意味をちょっとは解れるようになっているように思う。 想像力豊かな人は物語からその人となりをそのまま想像し共感できるんでしょうが…自分みたいに読解力や想像力の足らん人間は自身の実体験や、そういう物語を読んだ人の言動からそれを推察するしかないらしい。自分自身の国語力のなさを四十路の秋に再認識する。ある意味読書の秋らしい体験なのかもしれない。 個人的に興味深かった段をいくつか。 1つ目は竹芝寺の段。 少女時代過ごした東国から京に戻る途中、武蔵の国の屋敷跡で聞いた昔話を書いている部分。 大事に育てられた身分の高い娘の屋敷、そこに田舎から出てきた下働き(火焼き屋)が「仕事つまんね、田舎で酒壺にさしたヒシャクが動くのを見てた方が楽しかった」と呟くのを聞いた身分の高い娘が「そこに連れて行って」と頼み駆け落ち。それを見た帝も「まあ…しゃあねえな」とその男に娘が苦労しないで済む身分を与え、その時に作った立派なお屋敷のあとがここなんだ、という趣旨の話。 こういうベタな話は平安時代からうけてたのか、という意味でも興味深いし、それを晩年に人生を回顧する段になってもそういうお話を楽しんだ記憶は印象深かったりするんだという意味でも興味深い。 もう一つは物語の段。 念願の源氏物語一式を手に入れ、文章を自ずと暗唱するまでに読み込んだ作者。夢の中で「もっとお経とかも読んだ方が…」とお告げをされても意に介さず「今は器量が悪いけど、そのうちにめちゃきれいになって光源氏に愛された憧れの夕顔や浮舟の君みたいになるんだ」と思っていた当時の自分を「まづいとはかとなくあさまし(そもそも、たよりなく、あきれるほど幼い)」と回顧する。 当時の自分を突き放しているかのようでもあり、一方で解説では、あこがれの登場人物にあげた2人は両方とも愛されはするものの、それに振り回されて結果的に不幸になっている人物だ、という分析もあり興味深い。 「どこか夢見がち」と評される作者なんだけど…どこかさみしさを感じるところがあって。それを特に感じるのが梅の立ち枝の段。 東国に下るとき、一緒についてきていたのは継母なんだけど、その人の文学的影響は少なからずあったらしい。でも、京に戻るとその継母は父と離婚。継母は別れる時「梅の咲くころまた来ますよ」と気休めをいうんだけど、それを真に受けた作者が和歌で催促するのが梅の立ち枝の段。 他にも京都に帰ってから慕っていた乳母に先立たれたり、年上の旦那に先立たれたり…と別れのシーンは多く。晩年は親戚からも離れて一人で暮らしそれをさみしく思っていたらしい。 今と比べたらあっけなく人が亡くなる時代だったのかもしれないから、今の感覚でそのまま解釈するのは難しいのだけど…そんなさみしさを物語の世界や、晩年は仏教の世界でまぎらわせるのは…そこまで不思議なことではない気もする。 昭和38年初版、平成6年187版発行、という実に息の長い一冊。積読としてもかなり息の長い方に入る一冊。 本しかり、知識しかり、いつ役立つかわからん、というか…知識を得た時と生かせるときが一致するとは限らないんだな、というか…。 「気になったらググる」が当たり前になった令和の時代にこんなこと言っても回顧趣味にしかとられないのかもしれませんがね…。
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