徒然草を読む の商品レビュー
『徒然草』の文章を読み解きながら、人間の生に対する兼好の向きあいかたについて考察をおこなっている本です。 「つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」という有名な文について、著者は第75段に...
『徒然草』の文章を読み解きながら、人間の生に対する兼好の向きあいかたについて考察をおこなっている本です。 「つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」という有名な文について、著者は第75段に見られる「つれづれわぶる人は、いかなる心ならん」ということばを対置し、兼好の「つれづれ」理解の深まりを読み取っています。著者は、もの狂おしさと一つになっていた「つれづれ」から、「わぶ」という心理的条件が消し去られたのだといい、このとき「無聊の否定の中から、閑暇という虚の空間があらわれる」と主張します。ここに著者は、兼好の特異な時間意識を見いだし、「つれづれ」そのものに徹することで時間が透明化され、閑暇を「しばらく楽しぶ」境地が開かれてくるのだと述べています。 こうした兼好の時間意識を、著者は『一言芳談』のそれと比較しています。『一言芳談』が語っているのは、現世の空しさを言い立て、ただ後世の到来を願う「後世者」たちの生き方でした。しかし兼好には、後世を頼んで現世を否定するような態度は見られず、むしろ一期は不定と思い定めたひとの、ひたすら死までの短い時間をいとおしむ姿が認められると著者は述べています。 さらに著者は、こうして死までの切迫した生を生きる兼好の、名、色欲、味わいといった「楽欲」に対する柔軟な態度や、名人・達人の生き方への共感、さらには、峻厳な覚悟をもって仏道を志した盛親、性空、明恵といった人びとに対する敬意について考察をおこなっています。
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