ブッダの宇宙を語る(上) の商品レビュー
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旅は、華厳の発祥地コータンへ。 基本コンセプトの理解をブラッシュアップ。 ◆学んだこと ○「真如(しんにょ)」? あらゆる存在・現象の真実の本性。空性、法性も真如の同意語。 ○「真如は自性を守らず」? 真如は、もとより自らを保持せず、自らを消して無になり、現象世界を支える・・・心の源底が真如・法性にあって、しかもそれが自らを否定して現象世界に展開していくのですから、もはや現象世界そのものが心であるということになるのでしょう。ただしその心とは、物に対する心ではまったくなく、いわば生命そのものとしての心です。 (P101) では、真如はどうして現れるのか? その答えが「随縁真如」? ○「十重唯識」の見方? 真如を証するまでの心の働きを説明した法相宗の五重唯識観を参考に、法蔵が、覚りのあと再び現実世界へ帰ってくる道筋(事々無礙法界)を追加してまとめたもの。法蔵が追加した後半は以下。 転真成事唯識 真如が自らを消して、現象世界が現れる。 理事無礙唯識 真如と現象世界が解け合う。 融事相入唯識 事の用が理を通じて相互に相入している。 全事相即唯識 事の体が理を通じて相互に相即している。 帝網無礙唯識 重々無尽の関係を織りなす姿が現れる。 ちなみに前半は・・・。 相見倶存唯識 対象と主観がともにあるという立場で見る。 摂相帰見唯識 世界は主観のみという立場で見る。 摂数帰王唯識 いろいろな主観は八識が作るという立場で見る。 摂末帰本唯識 八識は阿頼耶識が作るという立場で見る。 摂相帰性唯識 一切を分別を消して平等な世界と見る(真如・法性) ○「事」と「理」とは? 一般に、事は相対・差別の現象世界のこと。理は絶対・平等の真理の世界のこと。 (P171) ○「事」と「言葉」と「物」とは? 本来「事」のみ→「言葉」で表す→物化→執着 私たちは言葉の迷妄をいったんは見透かして、その事の世界の実装を見届けるべきです。そこにはもっと直接的な、もっとも生き生きをした生命の世界があると考えられるのです。 (P178) ○華厳は個を重視する主体的な思想? あらゆる事柄を謙虚に学びつつ、歴史を創造していく主体が成立してくる世界が事事無礙法界であると私は思うのです。 つまり、理が消えて相互の事のみとなった世界、人々が互いに創造性を発揮して世界を生成し続けていく世界だということです。単に対象的に事と事とが無礙に関係しているとみるだけでなく、各々の自己が自己の責任において自他を考慮しつつ歴史を創造していく、主体的な世界とみるべきだと思うのです。 ある意味で、華厳の世界観は個を重視する、非常に主体的な思想であることを見逃すべきではありません。と同時に、無限の関係を説くその教えは、私たちが人間として生きるということへの想像力を豊かにかき立ててくれることでしょう。 事事無礙ということは、人類の歴史、宇宙の歴史ということに広がってくるのです。菩薩道というものは、ここにつながってくることを思うべきでしょう。 (以上P192)
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