もうひとつの日本への旅 の商品レビュー
「私は「民族」は、有境の実体としては存在せず、他者に対する差別の烙印として、あるいは差別された人々の自己主張の旗印としてあり、したがって「民族」は存在しないが「民族問題」はあると考えている。」(P211) 「日本列島先住民の南方起源を説く「二重構造論」によっても、一万年の平和を列...
「私は「民族」は、有境の実体としては存在せず、他者に対する差別の烙印として、あるいは差別された人々の自己主張の旗印としてあり、したがって「民族」は存在しないが「民族問題」はあると考えている。」(P211) 「日本列島先住民の南方起源を説く「二重構造論」によっても、一万年の平和を列島に実現した心優しい縄文人を、大陸から灌漑稲作と金属の武器を携えて渡来した弥生人が制圧し、世襲の階層社会と人による人の支配を列島につくり上げたと見ることには、変わりはない。だが、そのとき据えられた南の視点は、漢字文明、律令制、儒教、仏教……と、続々と押し寄せた硬質な大陸文明の吹きだまり列島を、「妹の力」にしなやかに支えられた、南海の島々からとらえ返す元気をわれわれに与えてくれる。(p274)
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西南日本の太平洋側を中心とする、イネ、タケ、茶、そして木綿などの「照葉樹林」文化を基盤とした日本の文化は、これまで大和朝廷が中核となって日本の歴史を主導してきた。一方で、常に「蝦夷」として討伐の対象とされてきた東北から北海道にかけての「ナラ林地帯」に対応する文化がある。著者は、...
西南日本の太平洋側を中心とする、イネ、タケ、茶、そして木綿などの「照葉樹林」文化を基盤とした日本の文化は、これまで大和朝廷が中核となって日本の歴史を主導してきた。一方で、常に「蝦夷」として討伐の対象とされてきた東北から北海道にかけての「ナラ林地帯」に対応する文化がある。著者は、豊かでソフトな前者ではなく、野生に満ちた強い手触りの後者を再発見することで、日本文化の「もうひとつの」可能性を模索できないかと思い立つ。 著者は各章で、遺伝や外見、生活様式などで区別される中心部の日本人と辺境の日本人を、彼らが使っていたモノ(道具)とワザ(身体技法:文化によって条件づけられたからだの使い方)とで比較対照するのだが、後者がいずれも「消滅寸前である」ことを示し、「多様性がある方が全体として安定し、未来への可能性も大きいことは、生物一般だけでなく人間の文化にもいえる」と、諦念をにじませ訴える。 人類学者である著者は、「日本文化を基本的に同質のものと見る」ことに懐疑的だ。グローバリゼーションが拡大する一方の世界で、伝承的な差異にこだわり、平準化に逆行するような伝統文化を見直すことで、新しいモノづくりの旅が始まるのを期待したい。
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