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間接的言語と沈黙の声 の商品レビュー

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2010/06/27

収録されている「眼と精神」を読みたくて手に取った。 巻末の解説にある「絵画論がそのまま感覚的世界の存在論になる不思議」を読み解くまでには到底届かなかった。論文での主張を取り巻く過剰ともいえるような言説に惑わされて、本筋が見えなくなることしばしば。どうもこの手の論文を読むにはそう...

収録されている「眼と精神」を読みたくて手に取った。 巻末の解説にある「絵画論がそのまま感覚的世界の存在論になる不思議」を読み解くまでには到底届かなかった。論文での主張を取り巻く過剰ともいえるような言説に惑わされて、本筋が見えなくなることしばしば。どうもこの手の論文を読むにはそういった思考回路にスイッチする必要があるらしく、今の自分にはそのようなスイッチは無いらしい。 ただ、「目に見える線それ自体というものはない、林檎の輪郭や畑と草原の境界線はここにあるのでもあそこにあるのでもなく、(中略)クレーとかマチスのように誰よりも色彩を信頼した画家たちのもとで線が甦り、凱歌をあげているということには、何の矛盾もないのである。」というくだりには、線という認識の産物が、絵画においてつくりあげる空間性を考えさてくれた。建築においても通底する概念だと思う。 表題の「間接的言語と沈黙の声」では、「要するに、言語は語り、絵画の声は、沈黙の声である」という一文が一番分かり易い部分かと思う。ソシュールから始まりヘーゲルを経ながらマルローを批判するといった内容だが、こちらも自分には難解でした。まだ、「眼と精神」のほうが共感できます。 ともあれ、「眼と精神」は時間を空けてもう一度読んでみようと思います。

Posted byブクログ

2009/10/04

メルロ=ポンティの芸術論と言われている『セザンヌの疑惑』『間接的言語と沈黙の声』『眼と精神』を収録。それぞれの論文は別々の著作に所収されていますが、この本のおかげでこれらの論文を日本語でまとめて読むことができるようになりました。芸術を自らの哲学のモデルとして考えていたメルロ=ポン...

メルロ=ポンティの芸術論と言われている『セザンヌの疑惑』『間接的言語と沈黙の声』『眼と精神』を収録。それぞれの論文は別々の著作に所収されていますが、この本のおかげでこれらの論文を日本語でまとめて読むことができるようになりました。芸術を自らの哲学のモデルとして考えていたメルロ=ポンティの思想の発展を垣間見れます。

Posted byブクログ