夜は千の目を持つ の商品レビュー
20代の独身刑事ショーンは勤務の帰りは川べりを歩いて帰った。ある夜その橋から身投げしようとした女性を救う。女性は事業家の父と暮らしていたが、ある占い師から父がまもなく死ぬと予告されていた。メイドの住むアパートに住むその占い師は、これまで父の乗る飛行機の事故、株の売買、などことごと...
20代の独身刑事ショーンは勤務の帰りは川べりを歩いて帰った。ある夜その橋から身投げしようとした女性を救う。女性は事業家の父と暮らしていたが、ある占い師から父がまもなく死ぬと予告されていた。メイドの住むアパートに住むその占い師は、これまで父の乗る飛行機の事故、株の売買、などことごとく占いがあたっていた。 ショーンは事件性を感じ取り、上司と占い師近辺を探り始める。 これも始まりが真夜中、途中現われる怪しげな人物たちの登場も夜、そして主人公は若い男女。自殺しそうになった女性は夜の星を恐れ、「どこかあれの見えないところへ連れて行って。空のかくれるところへ。あんなにきらきらーー千の眼がーー」とショーンに言う。NIGHT HAS A THOUSAND EYES たまらない修飾文だ。 今回は「占い」という今までにないものが出て来て、筋的にはちょっとゆるいかな。 1945発表 1979.7.20初版 1995.4.7第15版 図書館
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アイリッシュ=ウールリッチの詩的で叙情的な文体はタイムリミット物のサスペンスに緊迫感だけではなく、美酒を片手に飲みながら物語を読んでいるような陶酔感を与え、豊穣な気分をもたらしてくれるのだが、それが曖昧模糊とした雰囲気を纏っているせいもあり、時には物語の進行を妨げるファクターにも成り得る。本作はそれを実証したかのような作品だ。 今回アイリッシュが用意した設定はこのようなものだ。 仕事の帰り道で偶然出くわした自殺間際の女性を刑事ショーンは間一髪で助ける。 事情を聴くと、父が死に直面しているのだという。父はひょんなことからある予言者と出逢い、彼の信望者となっていた。その預言者トムキンズは人智では説明できないような力を持っており、彼の予言は全て当たった。ある日、トムキンズは女性の父親ハーラン・リードに3週間後に獅子に喰われて死ぬという予言をする。その娘ジーンは夜が来るたびに死に近づく父に絶望し、川に身を投げようとしたというのだった。 ショーンは上司マクマナスと共にハーラン・リードを予言から守ることを決意する。予言を阻止すべく必死の捜査、護衛が始まった。 どうだろう? 通常であればアイリッシュならではの独創的なプロットだと感嘆するのだが、今回は物語を構成するそれぞれの材料に無理を感じてしまうのだ。 まずジーンが川に身投げする動機があまりにも浅薄で頼りない。この自殺未遂がきっかけで警察に助けてもらうようになるのだから、結構重要な因子であるのだが、純文学的といおうか、何とも摑みどころのない動機ではないか。 次に“予言を阻止すべく警察が捜査・護衛に当たる”。実はここで私はかなり引いてしまった。 通常、警察とは事件が起きてから捜査に乗り出すものである。事件を未然に防ぐための予備捜査・予備護衛は警備会社とか小説では私立探偵の仕事になるだろう。ここのリアリティの無さでこの小説の内容には没頭する興味を80%は失ってしまった。 これ以降、物語は退屈を極めてしまった。アイリッシュのいつもの文体が事件の確信を直接に触れず、婉曲的に周囲を撫でつけているように感じ、もどかしくなり、また予言が現実となるその時までの主人公と親子3人の重圧感ある心理的駆け引きの模様は単純に暑苦しいだけである。 結局トムキンズは本物の予言者であることが判明し、そしてリードは動物の獅子ではなく、獅子のパネルに首を食いちぎられたかのように狂気の果てにガラスに突っ込んで死んでしまう。この皮肉な結末は十分予想できた。 今回アイリッシュがトムキンズを最後の最後まで道化にしなかったから、この結末は必然であっただろう。どう物語に決着をつけるか、その点のみアイリッシュらしさを期待したがこれもこちらの想定内の範疇であった。 恐らく今まで読んだアイリッシュ=ウールリッチ作品の中にもこのように設定それ自体にリアリティが欠如していたものがあったかもしれない。しかし今までの作品にはその瑕疵を感じさせない「説得力」があったように思う。今回はそれが無かった。詩的な題名も読後の今はもはや虚しく響くだけである。
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