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東京風景史の人々 の商品レビュー

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2013/05/05

東京を、モダニストたちの歩幅でぐわしぐわしと闊歩したくなる一冊。『日本のアールヌーヴォー』で世紀末の、『モダン都市東京』で20年代の「東京」の姿をみごとに浮き彫りにした海野弘が、ここでは1910年代の東京をとりあげる。 20年代に花開く大正デモクラシーへの、どちらかというと過渡...

東京を、モダニストたちの歩幅でぐわしぐわしと闊歩したくなる一冊。『日本のアールヌーヴォー』で世紀末の、『モダン都市東京』で20年代の「東京」の姿をみごとに浮き彫りにした海野弘が、ここでは1910年代の東京をとりあげる。 20年代に花開く大正デモクラシーへの、どちらかというと過渡期とかんがえられてきた10年代だが、芸術家たちの意識の上である大きな変化が起こったのがこの時代であると著者は言う。具体的にいえば、00年代の画家たちにとって芸術とは「職業」を意味していたのに対し、10年代の画家たちにあって芸術とは「みずからの生き様そのもの」であった、と。交通手段や複製技術の進歩によって相互に交流が生まれ、西欧の芸術運動と時間差なくリンクすることができるようになったことで「個」としての意識が日本の芸術家たちの中に芽生えたのがこの時代なのである。西洋/東洋という「空間軸」、明治・大正・昭和という「時間軸」ではなく、日本の近代アートを「年代」によって西欧のアートとひとつかみで捉える必要を著者が説くのはそのためである。 それぞれのエッセイすべてがするする読み進むことを邪魔するくらい刺激的であるが、たとえば「川端康成の都市彷徨」、東京をみつめる川端の「まなざし」のデリケートな変化をみごと逃さず捉えた論考の鋭さには思わず唸らされる。モダン都市東京の「へそ」がすでに浅草から銀座へと移った二十年代の終わりに、川端は浅草への「回帰」を力説する。「欧米の直訳」にすぎない銀座に対して、東京のどん欲な「胃袋」であり「大胆な和洋混合酒」である浅草に川端は日本独自の都市文化を生み出す可能性の中心をみたのである。そして、それはまぎれもなく三十年代の先鋭的な文化人ならではのまなざしといえる。日本主義や西洋と東洋の融合といった彼らのイノセントな思想は、やがて軍国主義にのみこまれることで骨抜きにされるだろう。 文学や美術が、「個」としての芸術表現であると同時に、その時代に生きた人々の息づかいを生々しく刻みこんだすぐれた都市表現でもあるということをこの本は教えてくれる。

Posted byブクログ