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日本資本主義の精神 の商品レビュー

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日本の資本主義精神を…

日本の資本主義精神を歴史と照らし合わせて考察した本である。歴史を基にして日本人の精神を知ることで、現代企業が持つ考え方をもう一度見直す事ができる本だと思った。

文庫OFF

2019/06/22

確か適菜収氏の本で紹介されていて著者のことを知り、今回はじめて読むことが出来た。著者紹介のページを読むと山本書店を立ち上げ店主として主に聖書関係の出版物を刊行する傍ら評論家としても活動を続ける。とあって驚いた。まさに本書で紹介されている石田梅岩とそっくりではないか。梅岩は商家で番...

確か適菜収氏の本で紹介されていて著者のことを知り、今回はじめて読むことが出来た。著者紹介のページを読むと山本書店を立ち上げ店主として主に聖書関係の出版物を刊行する傍ら評論家としても活動を続ける。とあって驚いた。まさに本書で紹介されている石田梅岩とそっくりではないか。梅岩は商家で番頭をしながら私塾を開いて後進を育てていった。それに対して著者は出版を通じて明晰な評論を世間に広く知らしめている。そのどちらもいわゆる市井の人として生きながら知り得た知識や考え方を惜しげもなく社会に還元している。この庶民の意識の高さが仕事を精神的行為として捉える「モーレツ」社員を生み出すのだろう。もちろん長所は同時に短所でもあるという著者の冷静な指摘を見逃してはならないが。以下メモした箇所「自らが機能しようとすれば、まず、その共同体の一員となることが前提となる、それは他の共同体に属しつつ、機能集団では個人として機能するということは不可能である、ということでもある。」組織で活躍する為には絶対必要な観点。「だが、世の中でもっともむずかしいのは、実体を正しく見て、それに対応するあたりまえのことを実行に移すことなのである。」あたりまえのことをあたりまえに出来る=それがプロなんだと思う。や「事実を事実のまま見ることができれば、問題の大半は解決したに等しい。(中略)もちろん虚構を掲げる扇動家は、いずれの時代にもおり、それが一時的には人を動かすが、経済合理性の無視がどのような結果を生じたかは、ある意味で全日本人が学んでいた。」など。扇動家、煽動家は現代にもまさしく居て、その声の大きさや激しさに気圧されず煽られることなく冷静に言っている内容を吟味して判断することを心掛けたい。とても示唆に富む内容でよかった。また別の著書にも挑戦したい。

Posted byブクログ

2019/05/02

西洋とは異なる日本の資本主義のなりたちを、鈴木正三や石田梅岩、上杉鷹山らの思想にまでさかのぼることで明らかにしようとする試みです。 著者は、小室直樹の発言などを引用しながら、神への絶対的な帰依の精神が存在しない日本社会において西洋的な契約の観念がいまだ十分に理解されていないと指...

西洋とは異なる日本の資本主義のなりたちを、鈴木正三や石田梅岩、上杉鷹山らの思想にまでさかのぼることで明らかにしようとする試みです。 著者は、小室直樹の発言などを引用しながら、神への絶対的な帰依の精神が存在しない日本社会において西洋的な契約の観念がいまだ十分に理解されていないと指摘します。さらに、疑似的な血縁関係にもとづく社会構造が日本社会のさまざまな局面で見られることを指摘し、石門心学を中心に、そうした精神的風土に根差した思想が江戸時代に生まれていたことを明らかにしています。 主として文化的要因によって日本的経営の特色を説明することには大きな問題が含まれていますが、そのことはさておき、『勤勉の哲学』や『日本人とは何か』(ともにPHP文庫)とともに、著者の日本文化論の中心的な主張を知ることができる本だと思います。

Posted byブクログ

2013/06/11

なぜ日本にはブラック企業などというものが存在するのか、どうしてなくならないのか。1979年に山本七平が指摘していた答えがこれ。日本人の不思議な労働観と日本式資本主義の正体に迫る論考。詳細はブログで http://bear-path.blogspot.jp/2013/06/japa...

なぜ日本にはブラック企業などというものが存在するのか、どうしてなくならないのか。1979年に山本七平が指摘していた答えがこれ。日本人の不思議な労働観と日本式資本主義の正体に迫る論考。詳細はブログで http://bear-path.blogspot.jp/2013/06/japanese-capitalism.html

Posted byブクログ

2012/05/25

――――――――――――――――――――――――――――――○ 了雲は、その最後にあたって、梅岩に、自分が注を施した書をすべて与えよう、と言った。これは今でもたいへんに名誉なことであろうが、師からの伝授を何よりも重んじた徳川時代には、まさに絶対的で、いわば「了雲学派」の代表という...

――――――――――――――――――――――――――――――○ 了雲は、その最後にあたって、梅岩に、自分が注を施した書をすべて与えよう、と言った。これは今でもたいへんに名誉なことであろうが、師からの伝授を何よりも重んじた徳川時代には、まさに絶対的で、いわば「了雲学派」の代表という位置を譲られることである。ところが、梅岩はきわめてそっけなく、いりませんと言った。了雲がなぜかと問うと梅岩は「われ事にあたらば新に述ぶるなり。」と答え、了雲もまた、この答えを喜んだと伝えられる。(…)最終的には、自ら考えて自らの思想を述べるのが、彼の目的であった。120 ――――――――――――――――――――――――――――――○ カルヴァンにアメリカを見せて、この資本主義社会はあなたの精神が生み出したのですと言えば、この峻厳な思想家は驚いて口がきけまい。私は、これから、日本の資本主義をつくった人物として、鈴木正三をとりあげようとしている。それを知ったら、彼も、前記の人物たちと同じような反応を示すにちがいない。124 ――――――――――――――――――――――――――――――○ いい社会をつくるためには、彼の基本的な世界観から見れば、まず、「心なる仏」が三毒に冒されないことが必要である。(…)「内なる仏どおりに生きる」ことなのである。そのためには、当然、修行すなわち仏行にはげまねばならぬ、ということになる。(…)「仏行にはげめ」などと言われても、農民にはそんな余暇は全くない、どうしたらよいでしょう、ということであろう。これに対する正三の答えは、実に明確で、「農業即仏行なり。」なのである。130 ――――――――――――――――――――――――――――――○ 商人蔑視はいずれの国にもあり、徳川時代の日本だけが特に強かったわけではない(…)われわれは、自由という言葉をさまざまに使うが、少なくともその基本的な「不自由でない」という状態は、流通によって支えられていることに、案外気づかない。(…)これを担当するものはまさに「国中の自由をなさしむ」べく、天道から命じられた役人なのである。したがって、正三には、「売買の作業」とそれに従事する商人への蔑視は皆無である。こういう人が十六世紀の日本の武士にいたというのは不思議であり、この点だけを取り上げても、まさに独創的な思想家であろう。135 ――――――――――――――――――――――――――――――○ 商が巡礼のごとく一心不乱に働けば、利潤を生ずる。これは農でも工でも同じであり(…)では、利潤を追求してよいのであろうか。もちろん否であり、それをすれば三毒の一つである「貪欲」に冒される。では、それを追求したのではないのに、結果において利潤が生じた場合はどうなのであろうか。正三は、この「結果としての利潤」は、否定していない。すなわち、「正直の旨を守て商せんには(…)天の福、相応して、万事、心に可叶。」なのである。ただ、この「福徳を得て悦べきにあらず」である。これは「有漏の善」であるから、それで満足していては堕落し「必悪に入なり」だから、この状態のままであってはならず、さらに「無漏善」となすべく願い、巡礼のごとくにあらねばならない、と説いている。140 ――――――――――――――――――――――――――――――○ 「世俗の行為は、それを修行とすることによって、宗教的行為になりうる。」といった考え方は、日本人に実に大きい影響を及ぼした。(…)たとえば、われわれの社会では「ブラブラしている」は非難の言葉である。働かないということは、仏行を行っていないことだから、非難されて当然である。(…)もちろん、経済的に充足すれば、われわれは仏行を他に求めるであろう。しかし、それを求めること自体は、将来も変わらないし、求めても見いだしえないことが、われわれにとって最大の苦痛であることも変わらないのである。(…)そして、これが前述のように、徳川時代という自前の体制を自らの手で築きあげたときの、日本人の独創的な思想であった。145 ――――――――――――――――――――――――――――――○

Posted byブクログ