性的人間 の商品レビュー
【性的人間 改】 字面だけ見るととんでもない官能小説のようだが、中身は人間の欲求の奥深さや潔さ、外に出せば醜い塊だが己のなかでは宝石のようなものを描いている。 読みやすくはないがのめり込む。再読必須の一冊。僕の自意識は今日も正常か?平常か?
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再読。圧倒的面白さ。その人がその人自身でしかない、というのはどういうことなのか。自意識の醜悪さとどうしようもなさ、についてよりも、わたしは他の人とまったく分かり合えない孤独、の方により心撃たれるのだけれども、こういう大江もやっぱり本当に良い。自意識のぐちゃぐちゃさだって他人との関...
再読。圧倒的面白さ。その人がその人自身でしかない、というのはどういうことなのか。自意識の醜悪さとどうしようもなさ、についてよりも、わたしは他の人とまったく分かり合えない孤独、の方により心撃たれるのだけれども、こういう大江もやっぱり本当に良い。自意識のぐちゃぐちゃさだって他人との関係のなかで成り立つでしょ、ってわたしは思うので、その意味で主題的には「共同生活」がいちばん興味深かった。
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再読。60年安保前後に書かれた3つの中編を収録。いずれの作品でも、主人公は社会と奇妙な接点においてしか対峙できない。そして、政治的にはほぼ正反対なのだが、これら一連の作品(特に『セヴンティーン』)は三島文学との近接性を感じさせ、あらためて彼らは同時代を生きた(60年安保当時、三島...
再読。60年安保前後に書かれた3つの中編を収録。いずれの作品でも、主人公は社会と奇妙な接点においてしか対峙できない。そして、政治的にはほぼ正反対なのだが、これら一連の作品(特に『セヴンティーン』)は三島文学との近接性を感じさせ、あらためて彼らは同時代を生きた(60年安保当時、三島が35歳、大江は25歳)のだなあと思う。61年発表の『セヴンティーン』には、「ナチスの親衛隊の制服を模したもの」に身を固め「クーデターをひきおこす力になりたい」と希望する「おれ」が語られている。
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薄々気づいてはいたけれども、文学における性的探求の凄まじさ。僕らの時代もそうだったけれども、この圧倒的なパワーに翻弄されてしまう。保守的で性的で強固な日本文壇的で、となったらもうなにを読めばいいの。死者の奢りや飼育にたしかに感じた文学としての震えみたいなものを、こういう内容だと感...
薄々気づいてはいたけれども、文学における性的探求の凄まじさ。僕らの時代もそうだったけれども、この圧倒的なパワーに翻弄されてしまう。保守的で性的で強固な日本文壇的で、となったらもうなにを読めばいいの。死者の奢りや飼育にたしかに感じた文学としての震えみたいなものを、こういう内容だと感じることができない自分が嫌だけれども、しょうがないともおもう。あの圧倒的な震えを、確かめたいだけなのに。人間存在の実存を問うという感覚がわたしにはわからなかった。いつかこの本ごと理解できる日が来るのか。
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生物が元来脈々と受け継いできたという意味で大いなる他力である性に自己実存を委ねることを、全て肯定できるかというと、突っかかるところがある
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03079 性欲とイデオロギーの間で暴走する17才の衝動を、どこか戯画的に描いた「セヴンティーン」など中編三編収録。衆人環境の中でのオルガスムスなど、いずれも現代社会のシステムの中で抑圧された個人の衝動が一気に暴発する瞬間とその過程を描写しているように思える。
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「性的人間」「セヴンティーン」「共同生活」の三編。 「共同生活」は別として、「性的人間」と「セヴンティーン」を続けて読みながら、キルケゴールの実存の三段階の見事な転覆だなと感心する。 美的実存→倫理的実存→宗教的実存 というキルケゴールの提示するステップに対し、「セヴンティーン...
「性的人間」「セヴンティーン」「共同生活」の三編。 「共同生活」は別として、「性的人間」と「セヴンティーン」を続けて読みながら、キルケゴールの実存の三段階の見事な転覆だなと感心する。 美的実存→倫理的実存→宗教的実存 というキルケゴールの提示するステップに対し、「セヴンティーン」の元々勉強でも運動でも酷く頼りなく人の視線に耐えられないと感じていた主人公は、人を威圧する右翼の制服を纏うことによって見透かされることなく人を見、最後には「自分は天皇陛下のものである」と考えて完璧な安住を得る。この右翼少年は、自己の存在を神に委ねる「宗教的実存」の情けなさを提示しているよう。 ではこの「宗教的実存」を超えて、実際に社会的に実存することこそが求められるのか?というと、決してそうではなく、「性的人間」では、むしろ社会的の中でタブーを冒しながらギリギリで生きることが「生きる価値」とされている。タブーが必要なのは、単に快楽が高まるからであって、瞬間的な快楽の中に生きる価値を描くならば、必ずしも「性的人間」として提示される必要はなかったのでは?とも思うけれど、ここに出てくる人々は、(あるいは現代人たちは)おそらく死そのものよりも、社会的制裁を受けながら生きなくてはいけない犯罪のほうにより強い「タブー」を見いだしているようだし、さらに「反倫理的実存」も兼ねる意味では、人に絶対に迷惑をかける痴漢(相手が快楽を感じた場合それは失敗であるとこの小説の中でされているので、成功する痴漢は迷惑行為である)が最も反倫理的であるとされたのかな、と思ったり。 見ること見られることをより強く主題とした「共同生活」は、私にはまだ読解が不完全な感じ。 実際に存在する恋人や同僚に「見られる」ことよりも、実際は架空であった猿どもに見られることに非常なストレスを感じながらも、どうやらそれを求めていたらしい主人公が「二頭の馬が斜行する時…」(←これ爆笑した)の落書きに惹き付けられるのは、他者に向けて正確な意味を成さない、しかし直接でなく他者を必要とする不思議な自己完結的空間を必要としているものだったからなのだろうか。 架空の共同生活を欲してしまう、というのが私にはいまいちピンと来ず…。
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セブンティーンが鮮烈。あのどうかしちゃっているほどの自意識が本当に痛々しい。政治的背景は、出版当初からはだいぶ変わっているが、描かれているものは普遍的。
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短編集「性的人間」「セブンティーン」「共同生活」。「セブンティーン」は日本社会党委員長・浅沼稲次郎刺殺事件を題材にしていて、主人公の青年が右翼に目覚めていく様子が、迫力の筆力で描かれいます。
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どの作品も短篇らしく表現が直截的で、引き込まれて一気に読み切った。大江作品を読むと時代背景は違えども、人間の精神に内在する狂気について考えさせられる。すごい作家だと思う。
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