ババ、バサラ、サラバ の商品レビュー
濃厚な生と死の匂いが漂う詩集。小説同様、そこには奇妙な情景が広がり、忘れられないものとして脳裏に焼きつく。「箱」「針山」「金魚」が好き。
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解らない。小池昌代が言葉に託したモノが、思いがいつものように伝わってこない。小池昌代の短篇に物語はなく、詩的な切り取りだけがあると以前書いた覚えがあるけれど、この詩集には小さな物語がある。恐らく、在り過ぎる。 言葉が現実の世界に張り付いてしまっているといえばよいのだろうか。ど...
解らない。小池昌代が言葉に託したモノが、思いがいつものように伝わってこない。小池昌代の短篇に物語はなく、詩的な切り取りだけがあると以前書いた覚えがあるけれど、この詩集には小さな物語がある。恐らく、在り過ぎる。 言葉が現実の世界に張り付いてしまっているといえばよいのだろうか。どこかに読者を連れ去ってくれるような飛翔感がないのだ。 そんな思いの中でも、心に残る一篇に出会うことはある。「ねじまわし」。この、言葉に触発された思いの連鎖。湿り気のある思いの連なりこそ、小池昌代を読む最大の楽しみである。 からまちまを知っているか、とあの人が言った 「からまちま」ってなんだろう わたしはからまちまについて何一つ知らなかった 知りません。と言おうとして、喉がつまった それはなに? とも聞けなかった ただ、あの人の 疲れた灰色の目を見つめるだけだ 読み終えてしまってはいけないような、そんな気になる一冊である。
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風景がすっと浮かんでくる。まるでお伽話を語るように言葉が連なっている。読んでいる間に眠くなる。人生の孤独を、死を、わたしのあずかり知らないものとして。生きにくいならば蝶になればよい。水辺は三途の川である。そこに一筋に連なり、甘い水をすすっている。羽根をひらりひらりとはためかせて。...
風景がすっと浮かんでくる。まるでお伽話を語るように言葉が連なっている。読んでいる間に眠くなる。人生の孤独を、死を、わたしのあずかり知らないものとして。生きにくいならば蝶になればよい。水辺は三途の川である。そこに一筋に連なり、甘い水をすすっている。羽根をひらりひらりとはためかせて。その美しさは最後の悪あがきである。『ババ・バサラ・サラバ』の意味は最後までわからない。しかしきっと最後の挨拶なのだろう。「針山」「菊野先生」「存在の腋毛」あたりが人生の影を楽しくただようような浮遊感がある。
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