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世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか の商品レビュー

3.5

18件のお客様レビュー

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2011/02/27

 酒田は山形県の「眼」である。  日本地図を見ると、山形県の形は、人の横顔そのものである。日本海のある左を向いている。鼻があり口がある。えりあしには髪の生え際まである。その眼に当たる部分に酒田はある。この酒田と隣の鶴岡を中心とする地域は庄内と呼ばれる。藤沢周平が好んで舞台とした...

 酒田は山形県の「眼」である。  日本地図を見ると、山形県の形は、人の横顔そのものである。日本海のある左を向いている。鼻があり口がある。えりあしには髪の生え際まである。その眼に当たる部分に酒田はある。この酒田と隣の鶴岡を中心とする地域は庄内と呼ばれる。藤沢周平が好んで舞台とした海坂藩とは、すなわち庄内藩であることはいうまでもない。  都が京であった時代、ここは「仙台」でもあった、といっても意味は通じまい。幹線交通路が陸路ではなく、海路であった時代、京の都から琵琶湖を経て日本海に出た北前船が最初に寄港するターミナル駅は佐渡であった。だから佐渡は現代の東北新幹線になぞらえれば「大宮」なのだ。現代人は金山と島流しの歴史しか知らないが、この古の大宮には34もの能舞台が現存する。陸路時代の常識しか持ち合わせない者は、日本海側の各地にこういった表に現れない地層のような文化の深層を理解できまい。  そういう意味で、酒田はかつて第二番目のターミナル駅であった。  太平洋側の経済的な発展とは無縁ではあった。むしろ佐渡と同様庄内地方も「寂れている」。だからこそかも知れないが、文化的な土壌が「財」と「政」とは距離を置く、あるいは背を向けた文化人を多く生んだ。藤沢周平しかり佐高信しかりである。  本書の主人公を育てた酒田という町、庄内という土地がもつ文化的土壌とはそいうものだと思う。    『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』表紙の一面が文字で埋まるほどの、長いタイトルだ。  昭和51年の酒田大火は、明治以降の寂れた経済をダメ押しした。その大火の火元だったグリーン・ハウスは、サヨナラおじさん淀川長治が「世界一だ」と断言した映画館であったというのを本書で初めて知った。    ル・ポットフーはかつて、著者の筆を借りるまでもなく正真正銘日本一のフランス料理店であった。私が保証します。20年来、アレ以上のフランス料理は日本中のどこでも味わったことがない(余談ですが、今多くの人が日本一と信じるイタリアンの店「アル・ケチャーノ」は同じ庄内に、ある)。  だが、グリーン・ハウスの名声を築き、ル・ポットフーを創始した佐藤久一については全く知られていない。私も全然知らなかった。  だから、長いタイトルが本書のテーマそのままなのである。   実にツボを押さえたコピーのようなタイトルは著者が広告業界出身だということを納得させる。要所を押さえた丁寧な取材と記述も素晴らしい。  だがいつものことなのだが、私の興味は別のところにもあった。物語の書き手である著者が、どんないきさつで主人公と出会い、どんな気持ちから書かずにいられなくなったか、だ。  「私は40年近い勤め人生活で、家庭をつくり、住宅ローンを払い、いつの間にか年老いた」そういう平穏な生活の中で自己保身に汲々とし「偽物の人生」を送っていたのではと著者はふと思う。  そんな時、姉の友人を通じ、佐藤久一の人生を知る。佐藤の人生を追う旅は著者自身の人生の真偽を問う旅でもあったのに違いない。  「何かひとつ世の中の大勢の人から喜んで貰える仕事をしたい」と夢見て、その夢を実現させた佐藤を、著者は描ききっている。  だが、著者自身の人生を問う旅にこそ私は胸を打たれた。  決して「大勢の人」ではないかもしれないが、少なくとも私1人は、この本を読んで生きて行く勇気をひとつ貰った。  

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2010/10/13

この間文庫版が発売されているのを見て面白そうだな、と思い借りてみました。図書館にはまだ文庫版は入っていなかったのでハードカバーを読みました。 一言で言うと情熱とこだわりの人だなあ、と思いました。でも商売とする以上やはり利益を出さなくては。利益以上のおもてなしをしてお客さんを喜...

この間文庫版が発売されているのを見て面白そうだな、と思い借りてみました。図書館にはまだ文庫版は入っていなかったのでハードカバーを読みました。 一言で言うと情熱とこだわりの人だなあ、と思いました。でも商売とする以上やはり利益を出さなくては。利益以上のおもてなしをしてお客さんを喜ばせても結局店は長続きしないのだし、結果良いお店を失うということになればお客さんも損ですよね。でも理想を追い求める支配人にはそんなことは頭に無かったんだろうなあ…。ロマンの方ですね。 昔辻さんのことを書いた美味礼賛と言う本を読んだことがあります。その中に辻氏はお客さんを最高の食材と料理でおもてなしをするので自分で店は持てない、と言うようなことが書いてあったのを思い出しました。佐藤氏はそれを地で行ってしまったんだろうなあ…。 個人的には是非一度ル・ポットフーに行って食事をしてみたかったですね。勿論、それにかかるだけの費用はきちんと払ってでも。 それにしても久一氏は確かに傑出した方だと思いますがちょっとほめすぎじゃあないでしょうかね?作者も久一氏を知る人と同じく、久一氏の人たらしの技に捕まったのかな? 女性としては…色々納得できない点もありますよね~ オトコのロマンといわれたら反論は出来ませんが。

Posted byブクログ

2010/05/31

岡田芳郎 「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を  山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか」。 長い書名はレジュメの如く、本の内容を過不足なく表現している。 映画館「グリーンハウス」とレストラン欅、ル・ポットフーを 酒田に創り上げた男、佐藤久一のノンフィクションである...

岡田芳郎 「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を  山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか」。 長い書名はレジュメの如く、本の内容を過不足なく表現している。 映画館「グリーンハウス」とレストラン欅、ル・ポットフーを 酒田に創り上げた男、佐藤久一のノンフィクションである。 上質の映画を観ている気にもなるし、 ミステリー小説を読んでいるような気にもなる。 岡田は長年務めた広告代理店を定年退職し、  「何をするでもなく暗い家の底でうずくまるような生活を   送っていた」(p.264)。 そんな岡田に彼の姉が紹介したのが佐藤久一の妹だった。 忘れ去られた男の物語を岡田が再発掘する旅が、 1999年に始まった。 その後、岡田は狭心症、大腸がんで闘病生活を余儀なくされる。 2007年春、病を乗り越え取材を再開し、 2008年1月に上梓したのが本書である。 1976年の酒田の大火が 佐藤がかつて支配人を務めた映画館「グリーンハウス」の 室内配線の漏電が原因であることが分かる。 この大火が、佐藤の輝ける人生に影を落とす。 その後、レストラン支配人として 佐藤久一の創造性はピークを迎える。 開高健、山口瞳、丸谷才一などのうるさがたからも 酒田に暮らす人たちからも絶賛される空間、料理を創り出す。 しかし、経済感覚の無さから坂道を転げ落ち、 やがて破綻してゆく。 だからと言って、佐藤の成し遂げた仕事に価値がなくなったのか。 なぜこれほどの仕事をした男が忘れ去られてしまうのか。 佐藤はなぜつまづいたのか。 どうすれば転げ落ちずにすんだのか。 それともその人生は必然だったのか。 そもそも佐藤の人生は成功だったのか、失敗だったのか。 本人は幸福だったのか、不幸だったのか。 二者択一の試験問題じゃあるまいし、 簡単に答えを出せるわけもない。 岡田はあくまで感情におぼれることなく、 丹念に取材し、事実に基づき筆を進める。 そして、エピローグ「見果てぬ夢」はこんな一節で終わる。   私は墓前にぬかずき、佐藤久一に挨拶した。  「久ちゃん、どうやら私の中にあなたが棲みつき始めた」(p.277) 秋の夜長に読書の愉しみを深く味わえる一冊。 (文中敬称略)

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2010/05/24

面白かった。 一気に読んでしまった。 連休に出かけた酒田の街、ル・ポットフーは燦然とした記憶。 そのレストランを作った男、佐藤久一。 酒田を旅すると必ず聞かされる10・29の酒田の大火。 その火事との意外な関係。 レストラン欅に偶然出くわしたのも何かの縁か。 ル・ポットフー...

面白かった。 一気に読んでしまった。 連休に出かけた酒田の街、ル・ポットフーは燦然とした記憶。 そのレストランを作った男、佐藤久一。 酒田を旅すると必ず聞かされる10・29の酒田の大火。 その火事との意外な関係。 レストラン欅に偶然出くわしたのも何かの縁か。 ル・ポットフーと欅のために、絶対にまた酒田に行こう。

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2020/07/27

どこで本書を知ったのか忘れた。佐藤久一のサービスを追求することの視点には驚嘆する。酒田には一度だけ行ったことがあるものの、ル・ポットフーも知らなかった。酒田の大火が彼の映画館・グリーン・ハウスが出火元だと言う事も。

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2009/10/04

今夏、北海道で開催された洞爺湖サミット。 このサミットのオープニングの乾杯に採用されたのが『ドメイヌ・タケダ《キュベ・ヨシコ》2003』という日本産のスパークリングワイン。 山形県のタケダワイナリーという醸造所のワインです。 この記事を河北新聞で読んだのと前後して、本書を...

今夏、北海道で開催された洞爺湖サミット。 このサミットのオープニングの乾杯に採用されたのが『ドメイヌ・タケダ《キュベ・ヨシコ》2003』という日本産のスパークリングワイン。 山形県のタケダワイナリーという醸造所のワインです。 この記事を河北新聞で読んだのと前後して、本書を知る。レビューを読んでみると、この本の主人公『佐藤久一』と『タケダワイナリー』とが繋がっているようで、更に関心が高まって手に取った一冊。 「何かひとつ世の中の大勢の人から喜んで貰える仕事をしたい」と夢見た佐藤久一氏が、その夢を実現させるためにひとつひとつ行動を積み上げた結果なのですが、山形という土地だからこそ出来たこと。 奥山清行氏・奥田政行氏。 山形県はとても気になる人がいる魅力的な土地。

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2009/10/07

 佐藤久一(1930〜1997)の伝記。彼は山形県酒田市の名家に生まれ、20歳から14年間、父が建てた映画館「グリーン・ハウス」の支配人だった。それから劇場経営を学ぶために東京の日生劇場で3年間働いたが、故郷に戻ってからはフランス料理の「レストラン欅」「ル・ポットフー」を経営した...

 佐藤久一(1930〜1997)の伝記。彼は山形県酒田市の名家に生まれ、20歳から14年間、父が建てた映画館「グリーン・ハウス」の支配人だった。それから劇場経営を学ぶために東京の日生劇場で3年間働いたが、故郷に戻ってからはフランス料理の「レストラン欅」「ル・ポットフー」を経営した。そんな人物だ。  2008年5月4日付けのfringe blogで紹介されているのを見て購読しました。映画館では淀川長治氏に絶賛され、レストランでは多くの食通を魅了したという。本書では彼の人生について紹介すると共に、彼が自分の店を改善し顧客を満足させるために考案した様々な手法が紹介されている。時代や立場の違いはあっても、同様な営みを行う人々にとって参考になるだろう。  長いタイトルになっている疑問、なぜ彼はその後の歴史にほとんど名を残さなかったのか。その答は明確にされていないが、エピローグに書かれている、彼が庄内文化賞の受賞者に選ばれなかった理由に等しいだろう。つまり彼自身は映画監督でもシェフでもなく「実際に調理をしたわけではない」ということだ。例えば小説の場合でも、作家の名前は覚えられるが編集者や印刷所の名前はほとんど記憶されない。  しかし、それらの人々の仕事も作家に負けないほど、読者の最終的な印象に影響を及ぼしている。優秀で情熱的な人物が支配人を務めることによって、世界一日本一と呼ばれるような映画館やレストランを作り上げた佐藤久一の業績は、それを証明していると言って良いだろう。  いわゆる「裏方」を務める者は、自分の名前が歴史に残ることを目指すわけではない。彼らのやりがいは客の満足そのもの以外にない。逆に言えば、そういう形での自己実現を望む者にはそういう仕事の仕方があるということだ。これは映画館やレストランに限らず、作品を客に提供するすべての仕事に通じるのではないだろうか。

Posted byブクログ

2011/09/20

文化ってこんな風につくるんだ って がーーん と見せられたようで すっごいかっこいいんだけど身内じゃなくて よかったなぁ と思うような人。

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