環状島=トラウマの地政学 の商品レビュー
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-20090325 戦争から児童虐待にいたるまで、トラウマをもたらす出来事はたえまなく起き、今日の社会に満ちている。トラウマについて語る声が、公的空間においてどのように立ち現れ、どのように扱われるのか。被害当事者、支援者、代弁者、家族や遺族、専門家、研究者、傍観者などは、それぞれどのような位置にあり、どのような関係にあるのか。
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トラウマ当事者と支援者の位置関係、どれだけ声を上げる事が可能か不可能か、その時の風当たりの現象など…を、地政学的に図解で示している。自分が何か問題意識を抱いた時や、世間の社会活動とそれに対する批判を目にした時、頭の中をスッキリと整理するのに役立つ。想いを馳せる事の重要性に気付ける...
トラウマ当事者と支援者の位置関係、どれだけ声を上げる事が可能か不可能か、その時の風当たりの現象など…を、地政学的に図解で示している。自分が何か問題意識を抱いた時や、世間の社会活動とそれに対する批判を目にした時、頭の中をスッキリと整理するのに役立つ。想いを馳せる事の重要性に気付ける。
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理論に関する詳細は他のレビューワーに譲るとして、いろいろな問題を考える際に、自分は今地図上のどの位置にいるのかと考えるだけで、他の人と立ち位置が違うことを理解することができる。それがわかるだけでもかなり大きいと思う。 個人的には家庭内のいじめや虐待に興味があるので、アリス・ウォ...
理論に関する詳細は他のレビューワーに譲るとして、いろいろな問題を考える際に、自分は今地図上のどの位置にいるのかと考えるだけで、他の人と立ち位置が違うことを理解することができる。それがわかるだけでもかなり大きいと思う。 個人的には家庭内のいじめや虐待に興味があるので、アリス・ウォーカーの「投企的同一化」家父長制の暴力のあたりで目の覚める思いがした。 『「外傷性精神障害」からみたトラウマとジェンダーの相互的影響』
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放送大学『死生学入門』第15章の参考文献。「トラウマとそれにかかわる人々を理解するための理論」ということだけど、他のことにも応用できそう。
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様々のトラウマにあって、それに関わる人々は「環状島」〜つまりドーナツ型の島の形状をなして分布する、という話。 外洋は何の関係/関心もない人々 外縁部はかつて関わりがあっても、今は外洋を向いており、何らかの理由でトラウマの解決には携わろうとしない人々 内縁部は今実際に関わりを持ち、その解決のために活動している人々 そして内海部は実際に関わりを持つものの、ほとんどそれに溺れ浸かっている状態にあり、出口のない状況に自律/他律的要因でおかれてしまっている人々 本書ではとあるセクハラ裁判を具体例として示し、それぞれの場におけるあり方について論じている。 今、私がこのドーナツから直に連想するのは「自宅介護」の犠牲になっている人々だ。厚労省、永田町は平然と「在宅ベスト」と言ってはばからないが、そのことだけとっても彼らが「外洋」に位置していることがわかる。
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図書館より。 トラウマの当事者というよりもその当事者の周りの人(支援者や研究者など)の立ち位置を環状島、というたとえで分かりやすく書かれた本だと思います。 どこまで当事者の方に感情移入するのか、逆に冷静すぎる目線で当事者の方と付き合うのも問題があるような気もするし、そうし...
図書館より。 トラウマの当事者というよりもその当事者の周りの人(支援者や研究者など)の立ち位置を環状島、というたとえで分かりやすく書かれた本だと思います。 どこまで当事者の方に感情移入するのか、逆に冷静すぎる目線で当事者の方と付き合うのも問題があるような気もするし、そうした問題の中で周囲の人々の立ち位置を考えさせてくれる内容になっていると思います。
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考えさせられることが多い。一度読んだだけでは内容を消化し切れた気がしないので、間をおいて再び読み返したい。
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支援者は被害の外側にいて、内側の当事者とは他人なのだと言うことを両者が了解する。そうすれば、無用な傷つき合いが減らせるかもしれない。そして、その外側の他者が淡々と仕事をこなすということも大事なのだ。
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私がずっと考えていた部分 当事者と援助者側に立ってみた差異 あるいは当事者同士の中にある差異 例えば何かの当事者だとして沸き上がる想い 「言葉で表現しようのない」出来事に 声を発する事が出来る自分は 本当は軽いのではないか もっと悲惨な想いをした人はいるのではないか・・・という自らへの問い・・・(それは死した被害者への疑問) じゃあ 何故自分は生き残ったのだろうか・・・? 援助側 傍観者 加害者 立ち位置を 「環状島モデル」に例えて 説明可能にしている ~*~*~ 戦争から児童虐待にいたるまで、トラウマをもたらす出来事はたえまなく起きている 「言葉では表現しようのない」この出来事は、 それでも言語化されていった。 しかし、言葉にならないはずのトラウマを 伝達可能な言語にするという矛盾は、発話者をも聞く者をも揺るがせる。 「なぜあなたが(もしくはこの私が)その問題について語ることが できるのか」 「もっと悲惨な思いをした人はたくさんいるのではないか」に 始まる問いは限りなく、 お互いの感情を揺さぶり、自身を責めさいなむ。 「だからここで考えてみたい。 トラウマについて語る声が、公的空間においてどのように立ち現れ、 どのように扱われるのか。 被害当事者、支援者、代弁者、家族や遺族、専門家、研究者、傍観者などは それぞれどのような位置にあり、どのような関係にあるのか」 著者は「環状島」をモデルに、加害者も含め、 トラウマをめぐる関係者のポジショナリティとその力動を体系的に描いた。 ~*~*~* 自分の立ち位置を整理する、というのか そういう意味で とても参考になった本だ
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現在「問題」として認識されているもの(セクハラ、DV等)は、被害の一側面の問題化(概念化)に成功したものである。一人の人間の物語・被害を取り上げた時に、問題を切り取る角度は複数あって、ベン図のように重なったり包含関係にあったりする、というのが興味深かった。トラウマを扱ってはいるが...
現在「問題」として認識されているもの(セクハラ、DV等)は、被害の一側面の問題化(概念化)に成功したものである。一人の人間の物語・被害を取り上げた時に、問題を切り取る角度は複数あって、ベン図のように重なったり包含関係にあったりする、というのが興味深かった。トラウマを扱ってはいるが、日常生活のあらゆる物事に応用できるし、おすすめ(ざわ)
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